世の中には勝ち組負け組という言葉がある。その言葉を借りるなら、私は絶対的負け組だと思う。
今日はやけに空が青くて、新学期に入るのにはぴったりだった。そんな天気に影響されて、私自身も少しだけ浮かれていたのを感じたのか、電柱に並ぶスズメ達も可愛く歌い始めた。1年間着た制服はちょうどよくほぐれて着心地が良かった。新調した真っ白な靴下。この日に合わせて切りそろえた髪に、私の象徴のような太めの黒フレームメガネ。全身を鏡に映し、少し手直しする。時計を見るとちょうど時間になっていた。
「よしっ!」
気合を入れたら少し色落ちした鞄を持って、階段を一気に駆け降りる。
「ちょっと、もも!?」
母が声を上げる。
「いってきまーす!」
新調したローファーをさっそく履き潰しながら、振り返りもせずにドアを閉めた。母の声はドアに挟まれて聞こえなかった。

新学期に入ったから、少し教室の場所があやふやで自信がなかったけど、いつもの顔ぶれを見て少し安心する。
「もっちゃん!おはよー!」
「お、ももはやっぱそのままだなぁ。」
「おはよ、なっちゃん、すぐちゃん。すぐちゃん、変わらないってどういうこと?」
「気づかないか?菜月、ストパーかけたんだよ。」
よく見ればなっちゃんの髪は真っ直ぐになっていた。前までは少しだけ毛先がはねていて、子犬のようだった。
「もう、もっちゃん気づかないなんてひどいー!」
「ごめんごめん!気づいてたよ!言うタイミングがなかっただけ。」
「なら、許してあげるー!」
そう言ってなっちゃんは私の腕に絡みついた。あ、やっぱり子犬。
「ももは相変わらずくるっくるだな。」
「なつき、もっちゃんの髪好きだなー!」
「あ、ありがとう…。でも、不便なことが多いよ?」
天然パーマって羨ましがられることも多いけど、1番面倒な髪質だと思う。
「でもさでもさ、くるくるってだけでもう雰囲気可愛いしさ、女の子!って感じするよ!」
小さな身体を跳ねさせながらなっちゃんが言った。
「そうだな。私みたいなやつが天パだったらキチガイだけどさ、ももは似合うからいいよな。」
すぐちゃんはビジュアル系バンドが好きな影響か、髪型も女の子というよりは男の子って感じだし、インナーカラーを入れていて、すごく奇抜。
「そうかな?ありがとう。」
私達3人は小学生の時からの幼馴染で、その頃からよく3人で遊ぶことが多かった。このころのすぐちゃんはまだ目覚めてない頃だったし、とても大人しくて可愛かった。それこそ、1番の高校デビューをしたに違いないだろう。1年生の時も3人同じクラスで、そのまま持ち上がって仲良くしている。そのせいなのか、単純に私のコミュニケーション能力が乏しいからか、結局22人以外の友達は出来なかった。全然気にしてないけど。
ガララッ。勢いよく教室のドアが開いて先生が入る。それを合図にして私は席に座った。
「皆おはよう。じゃあ、ホームルーム始めるぞ。」
先生がホームルームを始める。毎日言うことはさして変わらないから、私は窓越しの空を見る。やっぱりキレイだな。
「…木、茂木!茂木はいないのか?」
先生の声聞こえる。少し反応が遅れた。
「あ、はい!います!」
「空見て黄昏れるより、俺の話も聞けよ。毎日ほぼ同じだが、たまに違うんだから。」
ここで少しだけクラスが笑う。
「す、すみません。」
「あいつが茂木だ。お前の席はあいつの隣だから。茂木、よろしく頼んだ。」
「は、え?」
私がよそ見をしているうちに話が進みすぎている。全然理解が追いつかない上にめっちゃクラスの一軍メンバーに睨まれている。私、何かしたのかな。いやいや、してないはず。
偉そうな様子で歩いてきたのは、いわゆるTHE・王子様!って感じの人だった。少女漫画とかに出てきて、壁ドンだとか、顎クイだとかするタイプ。と思ったけど、その人は見た目だけ王子様らしい。無愛想に笑いもせずただ席に座った。その姿も美しいとクラスの女子は釘付けだった。

ホームルームが終わって、すぐの休み時間。
当たり前のようにクラスのほぼ全員がその王子、転校生に群がった。質問が飛び交っていたけど、その人は丁寧に一つ一つ答えていた。なにあれ、結局地味女は興味ないってか。夜の中顔顔、と心の中で舌打ちをする。
「てかてか、黒柴くんも、豆柴の隣なんて不運だね。」
「そうそう、もっといい人の隣空いてたのに!例えばあたしとか?笑」
「お前、自意識過剰だよ笑」
クラスの一軍が私のことを一斉に罵倒する。豆柴っていうのは、一軍メンバーから付けられたあだ名だ。子犬みたくよく動くっていうことから付けられた。パシリに使う時だけ、皆が豆柴って呼ぶのだ。生きてる世界が違うから仕方ないけど、何も言い返せない自分が嫌だ。心のなかでは言うくせに結局表立って言えない辺り、この人たちと何ら大差無いんだ。
「あ、でも、豆柴は有能だよ。パシリっていう点では。」
ギャハハハと汚く笑う。私は半ば無理矢理に学級委員をしている。元々自分の意見は言えないし、断ることもできなかったからクラス全員の雑用をここ半年間ずっとやってきた。慣れてしまったから、もうどうでもいい。もっと酷いいじめをされるより、これくらいで満足してもらえるなら。どうせ、この黒柴っていう人も一軍の仲間入りなんてしちゃって、私のことを豆柴って馬鹿にするに違いない。
「へー。そうなんだ。」
心底興味がないって感じで適当な返事をした。
「豆柴ちゃんには興味ないんだって!豆柴おつ~笑」
「あ、ねえねえそんなことよりさ駅前のアイスクリーム屋さん行かなーい?バイトしてる子から割引券もらったんだぁ!」
別にいい。興味を持たれて面倒なことになるより、無関心のままでいてくれた方がお互いにメリットあるでしょ。もう既に別の話題みたいだし、静かに本読もう。図書館で借りた小説で、新刊コーナーに置いてあったから早速借りた。物静かな女の子が殺し屋に転身、これまで自分をいじめてきた人間を制裁していく、という割とハードなストーリー。あらすじを見ないで表紙の絵を見て選んだから、普段は読まないような本だったけど、思ったより面白くてよかった。現実味はないけど、小説くらい夢みたい。

帰りのホームルームまでやはり黒柴くんとの接触は一切なくて、一軍も朝の休み時間以外は絡んでこなかった。黒柴くんにしか興味なくてよかった。今日は心無しかパシられるのも少なかったし。ずっと黒柴くんへの興味が続けばいいのに。
「ももー帰るぞー!」
「もっちゃんー!」
2人が呼んでる。2人には迷惑かけたくないし、最初すぐちゃんが怒ってくれたけど、それですぐちゃんがどうにかなっちゃったり、悪化したら困るからってことで、すぐちゃんにはどうにか抑えてもらっている。なっちゃんはそんなすぐちゃんのストッパー役。私は大丈夫。もうあと半年だし。
「待ってー、今行くー!」

学校を出て少し経った頃、私は宿題用のプリントを学校に忘れていることに気がついた。
「あ、ごめん!私、忘れ物しちゃったみたい。」
「え、そうなのか?もうだいぶ歩いたけど」
「うん…、でも明日の宿題だから取りに行かなきゃ。二人ともごめん。私、取ってくるから先帰ってて。」
「え、もも1人で?大丈夫なのか?」
「そうだよ、もっちゃん。私達も一緒に戻るよ?」
「ありがとう。でも、いいよ。ついでにやってくることもあるし、二人に迷惑かかるから。じゃあまた明日ね!」
「あ、ももー!ったく、あいつは何にも変わらないんだな。」
「すーちゃんが変わりすぎなのもあるからねぇ。」
「今は私、関係ないだろ!」
「えへへ。でも、いつかもっちゃんが私たちのことちゃんと頼ってくれるといいね。」
「…ほんとにな。」

ほんとに馬鹿だな。黒柴くんのこと考えすぎたのかな。考えることなんて何にもないのに。2人には今度お茶でも奢ろう。迷惑って思われて2人にまでパシリにされたらもう学校行けないな。
そんなことを考えながら、全速力で教室まで駆け上がる。なんだかんだ中学までは陸上部にいたからまだまだ走れる。そう油断していたのかもしれない。突如足首に激痛が走る。その拍子に階段を踏み出した。ヤバいって思った時には、身体が宙に浮いているようだった。こんなところで怪我をしたなんてまた笑いものにされちゃう。少しだけ涙が滲んだ。
けど、落ちると思って目を閉じた私の背中には確かに支えるものがあった。
「おい、大丈夫か?」
聞いたことが無い声だった。全然知らない人に助けられてすごく恥ずかしい。すぐちゃんがいたら、すぐちゃんに助けてもらえたのに。怖いと思いながらも目を開けない訳にはいかなくて、恐る恐る目を開ける。
「おい、お前豆柴だよな?」
聴覚では認識できなかったが、視覚が加わったのことで、ようやくその人物を知ることが出来た。声を初めて聞いた。そこにいたのは黒柴くんだった。やばい。一軍の人に見つかったら殺される。そう思ったら、身体が反射的に黒柴くんから飛び退いた。
「おい、」
「ごめんなさい!」
言葉を吐き捨てるようにして、再び階段を登ろうと足首に激痛が走るのも構わないで教室にかけ込む。よし、プリントあった。もう用はない。早く帰ろう。そう思って教室のドアを見る。けれどそこにはドアを塞ぐように立つ黒柴がいた。
「お前、何で俺の事避けんの?」
急に聞かれてびっくりする。避けてるわけじゃない。でも、別に仲良くするようなこともない。お互いに良い関係のため。って言ったらいいのかな。
「無視するなよ。お前、俺の事避けてただろ。今日1日。」
え?それは大変な誤解。むしろ、避けられてたんじゃないのかな?
「え、いやそんなつもりは…気に触ったのならごめんなさい。気をつけます。」
だから、今日はもう帰らせてください。そう言おうとした時だった。
「なんで、なんでそんな謝るんだよ。」
「え?」
「んー!まぁいいわ。とりあえず、」
頭をぐしゃぐしゃとかき乱してから、私のことを指差す。
「お前、俺に気ぃ使うの禁止な。お前のこと嫌いとかじゃなくて、その、むしろ好きだから。」
すき?何が?それはどういうこと?急に色んな情報が頭に無理やり入れられて呆然とする。
「あー、悪い。急に言い過ぎてるな。まぁ、友達になろうってこと。明日からよろしくな。」
じゃあ、と言って少し耳を赤くした彼は教室を出ていった。
「どういうこと?」
誰もいない教室に自分の声だけが残っていた。