「いやいや、いいよ。ところで木崎、敬語やめない?」


 掌の上に乗せられた顔は急に悪戯っ子のように楽しげな表情に変わった。

 その急激な変化に、何故だか一瞬怯む自分がいた。


「もう口癖ですから、早々変えられるものではないんですよ」


 そこで一度切り、でも、と言葉を続けた。


「お気に召さないなら、変えれるよう努力いたしますが」


 ……慇懃無礼で、少し意地の悪い言い方だったかもしれない。


「木崎、そんなつっけんどんだと嫌われるぞー」


 苦笑しながら先輩はその細い指を僕の頬にめりこませ、何故かぐりぐりと錐(キリ)のように回し始めた。

 先輩は僕みたいにいちいち腹を立てないようで、そのせいで更にコドモな自分に腹が立った。


「ぼふはふひほひはわへはいへふ」

「うん?」


 指でぐりぐりされたまま喋ったら、人語とは思えない言葉になった。

 何を言ったか気になったのか、先輩は指でぐりぐりするのをやめてくれた。

 傷がある側でなくてよかったが、指がめりこんだ表側にも歯にあたった内側にも、すぐに色褪せるものの静かに長続きする痛みが残る。


「なんて言ったの?」

「……何でもないです。先輩は今も委員会に出ていらっしゃいますが、受験は大丈夫なんですか?」


 先輩は2年のとき、熱烈な推薦を生徒達から受けて生徒会に出馬した。

 熱烈な支持を得ていたのだから選挙前から当確で、沢山の期待は裏切られることなく当選した。

 ただし、本人の希望で生徒会長ではなくて副会長として。

 副会長は代々クラス委員会を纏めあげるのが仕事で、先輩も1・3年はクラス委員を務め、2年ではクラス委員長として委員会に参加していた。


「あー、うん、たぶん。今更足掻いたってしょうがないし、自分の身の丈に合った大学選んだから」


 無理して高いレベルのところに行っても、自分が辛いだけだから、と。

 いっそ清々しいほどの言い切り方だった。

 世間体を守って外面を飾り立てようとはしないその姿勢が、胸が焦げ付きそうなほど羨ましかった。

 クラス委員会で先輩と知り合って以来、先輩は越えられない壁で、僕の憧憬の対象だった。