ハルちゃんとリカちゃんの3人で登校中。
 私はソワソワしていた。
 恩人さんと同じ学校。
 会う機会があったら、すぐにでも恩人さんにお礼がしたい。
 受験に合格してから、ずっとそう願い続けていた私は、先へと視線を向けた。
 途端、恩人さんの姿が目に飛び込んできた。
 心臓がトクンと大きく伸縮した。
 夢みたい。
 強い思いって、こんなにやすやす叶っちゃうものなの?
 これも、お守りの効果?
 瞬いた私と、鞄を持たずに校門の端に立つ恩人さんの目が合った。
 恩人さんは真っすぐに私を見ていた。
 そして、優しく笑った。
 私の心臓が、ドクドクと音を立てて忙しく動く。
 恩人さん、もしかして私のことを覚えていてくれたんですか? 
 胸がキュンとした。
 そして、ソワソワしてしまう。
「あれって、あんときのイケメンじゃん」
 リカちゃんと、
「ちょっと待って。まわりにいる人も見覚えあるんだけど、特にあのメガネ美人」
 ハルちゃんが身を乗りだすようにして私の隣に立った。
 そう言われると、そんな気が……。
「えっと、あのっ。受験のときにとっても迷惑かけたら、お礼を言ってくるね」
 私は2人を交互に見つめた。
「はいはい、行っといで」
 リカちゃんがポンポンと私の頭を叩き、
「危なくなったら逃げてくるのよ」
 ハルちゃんが仕方なさそうな顔をした。
「うん。言ってくる」
 私は大きく頷いた。
 そして、急いで恩人さんの元へ走った。
 走るのは苦手だけど、神様みたいに優しい恩人さんを待たせたくない。
 少しの距離なのに、肩を上下させながら息を切らして到着した私を、
「おめでとう。無事に合格出来たんだね」
 恩人さんが柔らかな笑顔で迎えてくれた。
 私は全身の血が沸騰した気がした。
 全身が燃えるように熱くて、また会えたことが嬉しくて、涙が溢れそうになる。
 私、どうしちゃったんだろう。
 恩人さんを前にすると、極限まで舞い上がってしまう。
「はっはい! すべて恩人さんのお陰です。本当にありがとうございました」
 恩人さんが『スガノ』さんと呼ばれていたのは覚えているけど、本人から名前を聞いたわけじゃないから、ずっと心の中で呼んでいた名前をそのままだしてしまった。
「恩人さん?」
 恩人さんに訊き返されて、私はセンスの欠片もないネーミング力に恥ずかしくなった。
「えっと……その……」
 私は視線を落とした。
 スクールバックを握りしめる私の両手が、真っ赤になっていた。
「助けてくれたので……『恩人さん』」
 説明しながら、私はダッシュで逃げ帰りたくなった。
「『恩人さん』でもいいけど、俺の名前は『スガノタイシ』って言うんだ。『菅原道真』の『菅』に『野原』の『野』。『少年よ、大志を抱け』の『大志』ね。そっちで呼んでくれると嬉しい」
 恩人さんの声に、気に障った様子はなかった。
 恐る恐る見あげると、恩人さんは上品で柔らかい笑顔を浮かべていた。
「私は『日向にこ』です。『日向ぼっこ』の『日向』に、平仮名の『にこ』です」
「名前の由来は『ニコニコ』笑顔の『ニコ』ちゃんってとこかな?」
 『恩人さん』こと菅野さんが、サラリと私の名前の由来を言い当てた。
 思わず、私は両手をパンと合わせた。
「菅野さんは凄いです。大当たりです」
「いや、誰でも簡単に想像出来るから」
 長身の男子生徒の感情の起伏がないツッコミに、いつの間にか興奮していた私は我に返った。
「ヒロ、しゃしゃりでるな」
 菅野さんが、隣に立つ男子生徒に鋭く目を細めた。
「スミマセン。つい。ツッコミどころが満載で。離れます」
 そう言って、ヒロと呼ばれた生徒が2歩離れた。
 あれ?
 そういえば、リカちゃんとハルちゃんが言ってたけど、菅野さんと一緒に立っている人たちに見覚えが……。
「ニコちゃん、どうしたの? ボーッとして」
 菅原さんの心配そうな声に、私はブンブンと首を横に振った。
「大丈夫です。なんでもないです。えっと……その……、受験のときは本当にありがとうございました。優しくしていただいた御恩、一生忘れません!」
 私は改まって深々と頭を下げた。
「御恩だって」
 ヒロと呼ばれた人とは違う男子生徒と、
「時代劇かよ」
 さらに違う男子生徒と、
「菅野には勿体ないわ」
 聞き覚えのある声の女子生徒が近づいてきた。
「お前ら、マジで黙れ! 邪魔すんな」
 菅野さんの少しイラッとした声に、『私、余計なことを言ってしまったかな』と不安になりながら、顔をあげた。
 菅野さんは変わらず笑顔だった。
私はホッとして、力を入れていた肩をおろした。
「俺が優しかったのは、ニコちゃんがいい子だったからだよ。俺、実際は全然優しくないからね」
 菅野さん、絶対に嘘をついてる。
 平凡な私と話すのに気遣う人なんていない。
 でも、菅野さんは違う。
 私と話すために選ぶ言葉の全てが優しい。
 それって、みんなにも優しくできる人ってことでしょう?
「あの、もしもですが」
 チラリと後ろを見れば、ハルちゃんとリカちゃんが待っていた。
 もう、行かなきゃ。
 これで、菅野さんと話すのも最後。
 だって、菅野さんは私と住む世界が全然違う人だもん。
 だから、受験の日、自分がどれだけ助かったか、ちゃんと伝えなきゃ。
 そしたら、きっとスッキリする。
 ずっとずっと菅野さんのことを考えていた日々を終わらせられる。
「菅野さんに困ったことが起きて、たまたまそこに私が居合わせることがあったら、なんでも言ってください。全然力になれないと思いますが、精一杯お手伝いさせていただきます」
 言い切った達成感に満足すると、私は「失礼します」と頭を下げた。
「今言ったことは本当?」
 菅野さんではない男子生徒の声に、私はどうして菅野さん以外に訊かれているんだろうと不思議に思いながら、「はい」と消え去りそうな声で返事をした。
 顔をあげると、
「よかったな大志!」
 ガタイのいいスッキリな男子生徒が、菅野さんの両肩をガシッと掴んでいた。
 見覚えがある。
 えっと……いつだっけ……。
 そうだ!
 入学式で在校生挨拶をした生徒会長だ!
「今、生徒会の手伝いをしてくれる人を探してたんだ。なあ、大志」
 会長はそう言うと、まわりを見やった。
「イヤになったら、いつでも逃げていいからね」
 メガネの美人さんが近づいてきて、私の瞳を覗き込んだ。
 ああ、思いだした!
 この人、合格者説明会で受付してくれた人だ。
「はっ、はい」
 思わず返事をした私に、
「よ~っし、仲間が1人増えたぞ!」
 言い出しっぺの会長が片腕を突きあげた。
 えっ?
 何?
 どうなってるの?
 目をパチパチさせる私の両隣に、ハルちゃんとリカちゃんがスッと現れた。
「ちょっと待ってください」
 ハルちゃんの声が響き渡り、場が静まり返った。
 キョロキョロと見渡せば、通行する生徒たちがジロジロとこちら見ながら門を越えていく。
 リカちゃんの両手が私の肩に置かれた。
 そして、守られるように引き寄せられた。
 何が起きているのかわからないまま、私は視線をさまよわせた。
「リューイチ、確かに人数足りないって話はしてたけど。いきなりこのサプライズは心臓に悪いだろ」
 菅野さんが困った様子で、髪をクシャクシャッと乱した。
「菅野さん?」
 困っているなら力になりたくて、私は声をかけた。
 菅野さんの両手が私の両手をそっと掴み、持ち上げた。
 そして、王子様がお姫様を誘うように、
「そういうことだから、よろしくね」
 菅野さんがフワッと微笑んだ。