「まだ現れませんね」
 マモルが腕時計を見やった。
「まだ20分あるし。朝練とかなければ、今の時間が登校のピークなんじゃない?」
 仁美ちゃんは冷静だ。
「こうして神経を張り巡らせてると、まだ授業を受けてないのに腹が空くよな」
 リューイチはのん気だ。
 俺は通りすぎる知り合いのほとんどに、
「顔、死んでるぞ」
「顔色悪すぎ」
「休みなって」
 と、気を遣われていた。
「賭けるか。俺は5分前に現れるに1票」
 ケイがふざけだした。
 そのときだ。
 ニコちゃんの姿が小さく見えた。
 友達だろう女の子と3人で歩てくる。
 前1人が一番背の低いニコちゃんで、振り返っては後ろ2人と楽しそうに話している。
 少しサイズの大きい真新しい制服が、ニコちゃんの体に馴染んでいない。
 アホと言われてもいい。
 その馴染んでないところが、初々しくて可愛い。
 胸がキュンとする。
 鼓動が高鳴り、体中が溶けそうなほど熱をおびる。
「さっきまでは死んでた顔に、生気がみなぎりだしましたね」
 マモルと、
「昔から単純なとこは相変わらずね」
 仁美ちゃんがヒソヒソ話すのが聞こえるが、気にしていられない。
 ああそうだ。
 俺は単純だ。
 小学生のころ。リューイチと仁美ちゃんの2人掛かりで、『聞き分けのよい振りをした方が生きやすい』と教えてもらうまで、俺は上手に生きる方法を知らずにいた。
 先生に注意されては反発し、落ち着きがなく、宿題を放置したまま好き放題に騒いで遊んでいた。
 ガキ大将を気取っていた俺は、全女子に嫌われていた。クラスの副委員で近所に住む仁美ちゃん以外の女子に、総スカンをよく食らう問題児だった。
 あのころの俺は、顔立ちがよくても、他が許されないほど酷かった。
 今じゃ、月に数回は女子から告白されるし、テストは常に上位。
 昔から、運動神経は良かったし、顔立ちもよかった。
 食欲旺盛だけど、常に動いていたから太ることはなく、2人に生きやすい振る舞い方を教えてもらってからは、気づけば人気者と呼ばれるようになっていた。
 けど、俺は囃し立ててくるヤツらに全然興味がなかった。
 誰にでも心を開いて優しい振りをしているだけで、本当に心を開ける相手はわずかだった。
 悪ガキのときから俺を慕ってきたケイと、俺に要領を教えてくれたリューイチと仁美ちゃん、ガキのころからよく俺に皮肉を言ってきたヒロ、誰とも調和するふりをしてサボるのがうまいマモル。
 気づいたら、コイツらにしか本当の自分を曝けだせなくなっていた。
 昔、俺を総スカンにした女子たちは、いつしか馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。
 勉強ができない俺をバカにしていたヤツら全員が、クラスで上位の成績しかとらなくなった俺をバカにしなくなった。
 ソイツらの態度の変え方、目の濁り、煽て方、そうしたものを俺は全部見てきた。
 そして、大概の人間がどういうものかを学んだ。
 だから、俺は今まで恋をしなかった。
 いや、できなかった。
 告白してきたヤツの喋り方や動きで人としての程度が知れたから、抱きたいとも思わなかった。
 告白してくる女子を振るたび、親友以外の男子から「勿体ない」と言われた。
 けど、その気持ちが理解出来なかった。
 思春期らしく近場の異性に興味を抱けない自分に気づき、心の在り方が普通じゃないと感じた。
 そのことについて、多少は悩んだ。
 けど、異性と付き合わなくても生きていけるし、結婚しなくても人生は楽しめる。
 そう開き直った。
 そんな俺が、初めて会った純粋な女の子。
 それがニコちゃんだ。
 駅での出来事だって、普通なら「お守りありがとうございます。怪我をさせてスミマセンでした。では、急いでますので」で済む話だ。
 相手の怪我が気になるなら、救急箱を借りれないか駅員に声をかければいい。
 それくらい、駅にあるだろうし。
 なのに、ニコちゃんは一生懸命俺に謝り続けた。
 俺の怪我を自分のことのように受けとめていた。
 簡単に済ませてしまえとか、はぐらかしてしまえという気持ちが、ニコちゃんからは一切感じられなかった。
 真っ直ぐに俺を見るニコちゃんの瞳が綺麗で、透明な涙が宝石みたいで、俺の心を掴んだ。
 手や腕に伝わる温もりや小ささに、俺はニコちゃんを異性として性的に意識した。
 それは、一時的なものだと思った。
 けど、思いは止まらなくて強さを増した。