いや、嬉しい。勿論嬉しいんだけれど。
お店に来てくれて、指名を貰えることだけで身に余る光栄でではあるのだけれど
ちょっと気が向いただけで来てくれたのかなって考えてしまうわたしは贅沢ものだとは思う。でもこうやって嬉しいことさえ当たり前になって、いつか指名を貰うのも当たり前になって、人は欲張りになっていってしまうのかな?その時に自分が変わってしまうんじゃないか。いつかこの感謝の気持ちを忘れてしまうんじゃないかって思うと少し怖くなった。

「ふと、会いたくなる人になれるなんて幸せなことだと思うけど」

小笠原の言葉は柔らかいけれど、説得力がある。
余計な事なんて考えずに、いま目の前に起こっている幸福に感謝しよう。

「付け加えるとね、君のくれた名刺の字が綺麗だったり、君が選ぶ言葉が綺麗だったり、あまり…水商売の女の子っぽくないところが気になってね。接待には双葉を使わせてもらうことが多いんだけど、君がいるならシーズンズも良いかなって思ったりもしたり」

「ん~…字が綺麗なのは…習字をずっと習ってたりしたからですかね?
自分では自分の字が綺麗だって意識をしたことがなかったんですけど…。
とは言っても習字はあんまり好きではなかったです…」

「へぇ。じゃあご両親の希望で習わされていたのかな?」

「えぇ、そうですね。
わたしの家は…普通の家庭よりは裕福だったように思います。習字もピアノも水泳も色々な習い事をさせられたんですけれど…そのどれもが好きにはなれなかったです」

過去を思い返し、苦笑いをする。
事実、両親の言うままに習わされたすべてのものが好きではなく、好きでないから楽しくも感じなく、自分の身になったかと思えば疑問だった。
けれど、小笠原が褒めてくれたのなら、あの日々さえ何1つ無駄な時間などなかったのかもしれない。

「なるほどね」とグラスをからからと揺らす。ゆっくりと静かに流れる時間は慌ただしく人の気持ちが揺れ動くこの場所では稀有で、そしてその時間が好きだった。この先どんなお客さんと出会おうと、この出会いは特別なものになる予感がしていた。

「そういうことなら僕が君に感じた違和感には納得かな?」

「違和感?」