「あと、名前、どうする?」

「名前?」

「お店での名前。別に本名を使ってもいいけど」

いわゆる源氏名というやつだ。それくらいは無知なわたしでもわかる。
数秒、うーんと考えた後わたしが発した名前に深海は目を丸くした。

「さくら」

「さくら?花の桜?」

「いえ、平仮名でさくらにします」

そう告げると、深海は眉毛をしかめた。
元々気難しそうな顔が、更に険しくなる。

「‘さくら’という名前は他にもいますか?」


わたしが面接を受けた、いわゆるキャバクラという世界。

七色グループはこの大きくも小さくもない繁華街の中では力のあるグループで、このあたりだけでも4つの系列店がある。

源氏名は、系列店を含めかぶってはいけない、というのが七色グループの決まりであるのはさっき深海から聞いた。

「いや、いまはいないよ。いまは」

今は、ととってつけたような言い方をして、深海は紙にお世辞にも綺麗とは言えない字で「さくら」と記入した。

「さくら…。
さくら、来週からよろしくな」


初めて笑顔を覗かせる。

それは深海にとって作り笑いだったのかもしれないが、笑うと細い目が垂れ下がり、片方だけ八重歯がちらりと見える。それだけでぐっと優しくなりさっきまでとの印象と変わる。

自分の人生を変えるような出来事や、本当の自分がどんな人間なのかと知る数々の出来事が起こったのはいつもこの場所で、人の冷たさも、世の無情も、全部教えてくれたのはこの場所で、それでもここで立ち上がり続ける勇気をくれたのも、自分が思うよりも深く愛されていて、一人じゃないって事を教えてくれたのもこの場所だった、と。それを知るのはずっと後になるのだけど。


18歳。

さくらが生まれたのはとある晴れた初夏のこと。