時計の針が19時を過ぎた頃。
窓から見る外は暗闇に包まれている。

「必要な物は明日持ってくるから」
ベッドに座る芹那にそう言うと、
ごめんね、と言って申し訳なさそうに笑った。
父さんと母さんは入院の手続きのため、部屋には俺と芹那のふたりだけ。
個室の部屋は広々としているが、
辺り一面真っ白で何だか落ち着かない。


「ねぇ、お兄ちゃん」

「ん?何だ?」

「…私、涼太の隣にいちゃ駄目なんだよね」

真っ白な部屋にポツリと響いた突然の芹那の言葉。
予想もしていなかった言葉に驚いて芹那の顔を見ると、
芹那は悲しそうに笑っていた。

「治るならまだしもさ、私治らないもんね。
そんな私が涼太を縛り付けちゃ、駄目だよね」

「…どうして、そう思うんだ?」

「…最近、急激に病気が進んでるの」

!!

…芹那の身体は予想するよりもずっと速く病気の症状が進行しているとは聞いていた。
投薬がうまくいかないせいで、症状は抑える所か進む一方だと。
だけど、毎日必死にリハビリを頑張る芹那には、
その事実は伝えていないはずだ。


「毎日毎日、少しずつ出来ない事が増えていくの。
昨日まで出来てた事が今日は出来ない。
明日は何が出来なくなるんだろうって思ったら、
毎日眠るのが怖いの」

そう話す芹那の顔には苦しみが滲んでいる。

「…涼太が褒めてくれたピアノも、弾けなくなっちゃった」

涼太は昔から芹那のピアノを真剣に聴いて褒めてくれていた。
スゲー、とかいつも同じ簡単な言葉しか言わなかったが、
その時の涼太の顔はいつもキラキラしていて、
芹那はいつも嬉しそうに笑っていた。

「涼太が褒めてくれたから、ピアノも好きになれたし頑張れた。
でも、もう弾けないの。
指が上手く動かないし力が入らない」

「芹那…」

「それに、涼太最近バスケしてないの。
私がいるから。
…私がいるせいで、涼太にたくさん我慢させてる」

「そんな事…」

「普通のカップルみたいな事、何にも出来ないの。
前みたいに手を繋いで一緒に歩く事も、今は難しいの。
隣に並んで歩く事も。
今の私じゃ、涼太に何にもしてあげられない。
迷惑かけるだけ。
だからね、
…もう、涼太の隣にはいられないって、
言ったの」

「…何で、そんな事…」

芹那も涼太も、お互い強く想いあっている事は俺にも分かる。
確かに病気が進んでいく芹那には涼太に何かしたくても出来ない事は増えるだろう。
だけど、病気を理由に離れなきゃいけないなんて事はない。
病気だから、好きな人を諦めなきゃいけないなんて、
そんな事は絶対にないんだ。

「芹那の気持ちは分かる。
涼太に迷惑かけたくない気持ちも、何もしてあげられない事が辛いのも分かる。
だけど、病気を理由に涼太を手離す事はないだろう?
涼太はそんな事、望んでいないはずだ」

「だって、私にはもう何もないんだよ」

そう言った芹那は
これから自分が進んでいく道が分かっているかの様な、
悲しみと苦しみが混ざりあった顔をしていた。


「涼太はこれからたくさんの人に出会うよね。
たくさんの希望と未来が待ってる。
だけど、私には何もないの。
歩けなくなって、食べれなくなって喋れなくなって、
寝たきりになる未来しかない。
そんな私が、普通の女の子より誇れるものとか、
何にもないよね。
私の方がいいよって言えるモノ、何にもないよね。

…このまま涼太を手離さなかったら、私きっと涼太に嫌な思いたくさんさせちゃう。
嫉妬して、僻んで、嫌な言葉も言っちゃうかも知れない。
そんな私が、涼太の隣にいちゃ駄目なんだよ。
涼太の事、好きだから…」

そう言って俯く芹那。
頬には一筋の涙が流れた。

「芹那…」

芹那の両手を握り、ゆっくりと語りかけるように芹那に話す。

「好きなら、自分から手離すようは事はしちゃ駄目だ。
涼太は、芹那の隣にいる事を望んでいるんだから」

俺の言葉に、芹那は俯いたまま首を横に振る。

「だって、私
涼太よりうんと早く、
死んじゃう」

!!!

心臓がゴトリと嫌な音を立てる。

「どんなに涼太が好きでも、
死んじゃう私は、涼太と一緒に未来を生きられない。
それなのに、涼太を縛り付ける事なんて
出来ないよ…!」

次から次へと流れ落ちる涙を拭う事もなく
ただ静かに泣き続ける芹那。

俺はそんな芹那をただ抱き締める事しか
出来なかった。