あまり眠れずに朝を迎える。
…結局あれからお父さんに何も言えなかった。

リビングに降りると、
お母さんしかいなかった。

「おはよう、芹那」


私が降りてきた事に気づいたお母さんが、
洗い物の手を止めてキッチンから出てくる。


「おはよう」

「朝ごはん、食べるでしょ?」

「うん」

私の返事を聞き、お母さんはキッチンへと戻り、
パンをトースターに入れる。

「お父さんとお兄ちゃんは?」

「お父さんは病院、
棗は向こうに戻る前に会っておきたい人がいるからって出掛けたわ」

「そっか」

カチャカチャと食器の音が響く。
テレビからは朝のニュースが流れる。
適当にチャンネルを回すもあまり興味をそそられる物はなくて、私はリモコンをテーブルに戻す。

「ねぇ、お母さん」

「何?」

「私、治るんだよね?」

朝ごはんを持ってきてくれたお母さんにそう聞くと、
お母さんの動きが一瞬、止まった。

「…治るわよ、大丈夫!」

そう言ってキッチンへと戻るお母さんは、

やっぱり私の目を見てくれなかった。







朝ごはんを食べて、
私はひとりリビングで過ごす。

お母さんはお父さんの忘れ物を届けに病院へいくといって出掛けていった。

ひとりになった途端、不安に襲われる。

筋力が弱まってる、
だけど、薬を飲んでリハビリすれば治る、
その言葉を信じて安心してた。

なのに、私、
治ってる感じがしない。
まだ1週間しか経っていないと言われそうだけど、
症状が酷くなってる感じがする。

私は昔から、細かい作業が好き。
アルバム作りもそのひとつ、
写真を貼るだけじゃなくて、写真を色んな形に切ったり、
回りに色んな形に切った折り紙を貼ったり、
そんな作業が楽しい。

だけど、指がおかしいんだ。
力が入らなくなる。
ペンも上手く握れない。
物をちゃんと持てなくて、落としちゃったりする。
それに、ちゃんと持ったと思っても、
手が届いていなかったりする事も増えた。

そして、フラつきも増えた。
関係あるのかは分からないけど、
目が霞んだり、字が二重に見えたりする事も増えた。

…薬、効いてるの?



【初期症状はフラついて転倒が多くなります】
!!?

つけっぱなしにしていたテレビから聞こえた声に思わず立ち上がる。

画面には病院のベッドに寝ている女の人と、
そのご両親と思われる人が映っている。


【脊髄小脳変性症というこの病気は、何らかの原因で小脳が萎縮し、そこに存在する神経細胞が壊れていきます。
そうなると身体を動かすことが次第に困難になっていきます】

【症状としては、フラつき、足のもつれ、転倒、
距離感をとれない、力が入らなくなり物を持てない、
また目が霞んだりぼやけて見えたり等あります。
また、字が書きにくくなります】

ドクドク、
心臓が痛い。
足が震える。

聞きたくない、見たくない、
だけど、私の目は、テレビから離れない。



【病気はゆっくり、しかし確実に進行していき、
やがて歩けなくなり、寝たきりになります。
発音の障害も出るため、喋れなくなります。
今の医学では、この病気に対する治療薬、治療法はありません】

!!!?


ドクドク、ドクドク

相変わらず煩くなり続ける心臓が痛い。

テレビの中のアナウンサーは、
そんな私の胸中なんて知る由もなく、

非情な言葉を繰り返す。

【また、この病気が完治した例はありません】


震える手でリモコンを握る。
だけど、リモコンは私の手をすり抜けて床へと大きな音を立てて落ちていく。

フラつき、足のもつれ、転倒、
距離感がとれない、力が入らなくなり物を持てない、
目が霞む、字が書きにくくなる、

……今の私、だ。


アナウンサーは、何て言った…?

治療薬は、治療法は…、
ない、…?

完治した例は、

ない、……?




(芹那は今、ちょっと筋力が弱まっているみたいだね)

お父さん、そう言ったよね?
薬飲んで、リハビリしたら、大丈夫だって。

(大丈夫、治るわよ!)

お母さん、そう言ったよね?



頭の中がぐちゃぐちゃになる。

私、本当は……

何の病気なの……?


お父さん、お母さん、お兄ちゃん、

……どうして、

私の目を見てくれなかったのか、


教えて……?