コンコン
「父さん、入るよ」
「あぁ」
父さんの返事を聞いてドアを開ける。
調べものをしていたのだろうか、
父さんは分厚い医学書を机に広げていた。
久しぶりに入る父さんの部屋は、特注で作った壁一面の本棚に膨大な医学書や様々な書物が並ぶ。
昔から変わらない父さんのこの書物の数々は、
俺にとって宝箱みたいなモノだった。
この部屋には俺の知らない事がたくさんある、
この部屋は、俺の知識欲を満たすのに充分だった。
「相変わらずだね、
次々に解明されていく事を全て自分に取り込むその姿勢」
父さんに促されソファーに座りながらそう話す俺に、
お前も同じだろうと笑う。
「…単刀直入に聞く、
芹那について何か気になる症状はないか?」
父さんの言葉にやっぱりという思いしかない。
「気になる事、じゃなくて
症状、か…」
医者らしい、そう思いながら俺は重たい口を開く。
「…最初におかしいと思ったのは、車に乗る時だった」
そう、今日芹那を先生のとこまで車で送る時だった。
車のドアを開けようとした芹那は、
ドアまでの距離が足りず伸ばした手は宙を掴んだ。
そしてピアノを弾いている時に、いつもの芹那なら有り得ないミス。
ミスというか、指が止まったように見えた。
時折り楽譜が見えにくいのか、楽譜に顔を近づけ目を擦ったりしていた。
帰りに寄ったカフェでは、ケーキにフォークを刺そうとしたが、そのフォークはケーキの手前を下りていき皿に当たりガチャンと音を立てた。
そして、フォークを落とした。
芹那は
何か指の力が抜けちゃった、と笑っていた。
「全て気になったよ。
極めつけはカフェを出た後だ」
カフェを出て車まで歩いてる時、芹那は転びそうになった。
幸い横にいた俺がすぐに芹那の腕を掴んだため、
芹那は転ばずにすんだ。
だけど…、
「転び方がおかしかったんだ」
俺の言葉に、厳しい表情を見せる父さん。
「上手く言えないんだけど、何だろ、
何か…」
「…手が出ていなかったんじゃないか?」
!!!
父さんの言葉に俺は必死でその時の状況を思い出す。
…そうだ、確かに芹那は…
「手が、前に出ていなかった…!」
普通人間は転ぶ時は反射的に手が出る。
脳がそういった指令を出すからだ。
なのに、あの時の芹那は手が出ていなかった。
頭から倒れる感じだった。
「…私も、2日前に芹那が部屋で転んだ時、少しおかしいと思ったんだ」
そう言えば、あの時父さんは芹那がぶつけた頬よりも
腕を気にしていた。
「お前が考えてる通り、人間は転ぶ時は脳からの指令を受けて反射的に手が出る。
だけど、あの時芹那はまるで顔から倒れ込んだかのように頬の下をぶつけていた。
腕や手は赤くも何ともなっていなかった。
ぶつけた頬が赤くなり本人も痛みを感じる程に打ち付けているのなら、咄嗟に出る腕や手も何かしら痛みを感じるはずなんだ」
父さんの言葉に背中に冷たい汗が流れたのが分かった。
「さっきの夕食もそうだ。
魚を箸で上手く掴めない、
そして、物への距離感がとれていない。
母さんにそれとなく聞いたら、
芹那は最近、よく転ぶようになったと言っていた。
…棗、お前も一時は医者を目指した人間だ。
この症状が明らかにおかしい事は分かるな?」
「…あぁ」
「明日、芹那を病院へ連れてきてくれ。
芹那には私から話しておく」
「話してって…」
「健康診断みたいなものとでも言っておく。
来年は受験だし今の内に、とな」
「…分かった」
父さんと話した後、俺は部屋で医学書を引っ張り出す。
一時は医者を目指した、
だけど、俺は俺のやり方で人の役に立ちたいと思い弁護士になった。
弁護士を目標にしてからは医学書は本棚の奥へと押し込んでいた。
転倒、距離感、目の見えにくさ…
調べれば調べる程に目の背けたくなる言葉が並ぶ。
思わず力任せに医学書を閉じる。
…俺は医者じゃない、
だから、決定付けるのはやめよう。
そうだ、
まだ決まった訳じゃない。
検査を受けたら、
何ともなくてただの疲れだったって事もある。
…そうだ、きっとそうだ。
芹那は何ともないんだ。
そう、必死に思い込んでは、
頭を掠める病気を払い除けていた。
「父さん、入るよ」
「あぁ」
父さんの返事を聞いてドアを開ける。
調べものをしていたのだろうか、
父さんは分厚い医学書を机に広げていた。
久しぶりに入る父さんの部屋は、特注で作った壁一面の本棚に膨大な医学書や様々な書物が並ぶ。
昔から変わらない父さんのこの書物の数々は、
俺にとって宝箱みたいなモノだった。
この部屋には俺の知らない事がたくさんある、
この部屋は、俺の知識欲を満たすのに充分だった。
「相変わらずだね、
次々に解明されていく事を全て自分に取り込むその姿勢」
父さんに促されソファーに座りながらそう話す俺に、
お前も同じだろうと笑う。
「…単刀直入に聞く、
芹那について何か気になる症状はないか?」
父さんの言葉にやっぱりという思いしかない。
「気になる事、じゃなくて
症状、か…」
医者らしい、そう思いながら俺は重たい口を開く。
「…最初におかしいと思ったのは、車に乗る時だった」
そう、今日芹那を先生のとこまで車で送る時だった。
車のドアを開けようとした芹那は、
ドアまでの距離が足りず伸ばした手は宙を掴んだ。
そしてピアノを弾いている時に、いつもの芹那なら有り得ないミス。
ミスというか、指が止まったように見えた。
時折り楽譜が見えにくいのか、楽譜に顔を近づけ目を擦ったりしていた。
帰りに寄ったカフェでは、ケーキにフォークを刺そうとしたが、そのフォークはケーキの手前を下りていき皿に当たりガチャンと音を立てた。
そして、フォークを落とした。
芹那は
何か指の力が抜けちゃった、と笑っていた。
「全て気になったよ。
極めつけはカフェを出た後だ」
カフェを出て車まで歩いてる時、芹那は転びそうになった。
幸い横にいた俺がすぐに芹那の腕を掴んだため、
芹那は転ばずにすんだ。
だけど…、
「転び方がおかしかったんだ」
俺の言葉に、厳しい表情を見せる父さん。
「上手く言えないんだけど、何だろ、
何か…」
「…手が出ていなかったんじゃないか?」
!!!
父さんの言葉に俺は必死でその時の状況を思い出す。
…そうだ、確かに芹那は…
「手が、前に出ていなかった…!」
普通人間は転ぶ時は反射的に手が出る。
脳がそういった指令を出すからだ。
なのに、あの時の芹那は手が出ていなかった。
頭から倒れる感じだった。
「…私も、2日前に芹那が部屋で転んだ時、少しおかしいと思ったんだ」
そう言えば、あの時父さんは芹那がぶつけた頬よりも
腕を気にしていた。
「お前が考えてる通り、人間は転ぶ時は脳からの指令を受けて反射的に手が出る。
だけど、あの時芹那はまるで顔から倒れ込んだかのように頬の下をぶつけていた。
腕や手は赤くも何ともなっていなかった。
ぶつけた頬が赤くなり本人も痛みを感じる程に打ち付けているのなら、咄嗟に出る腕や手も何かしら痛みを感じるはずなんだ」
父さんの言葉に背中に冷たい汗が流れたのが分かった。
「さっきの夕食もそうだ。
魚を箸で上手く掴めない、
そして、物への距離感がとれていない。
母さんにそれとなく聞いたら、
芹那は最近、よく転ぶようになったと言っていた。
…棗、お前も一時は医者を目指した人間だ。
この症状が明らかにおかしい事は分かるな?」
「…あぁ」
「明日、芹那を病院へ連れてきてくれ。
芹那には私から話しておく」
「話してって…」
「健康診断みたいなものとでも言っておく。
来年は受験だし今の内に、とな」
「…分かった」
父さんと話した後、俺は部屋で医学書を引っ張り出す。
一時は医者を目指した、
だけど、俺は俺のやり方で人の役に立ちたいと思い弁護士になった。
弁護士を目標にしてからは医学書は本棚の奥へと押し込んでいた。
転倒、距離感、目の見えにくさ…
調べれば調べる程に目の背けたくなる言葉が並ぶ。
思わず力任せに医学書を閉じる。
…俺は医者じゃない、
だから、決定付けるのはやめよう。
そうだ、
まだ決まった訳じゃない。
検査を受けたら、
何ともなくてただの疲れだったって事もある。
…そうだ、きっとそうだ。
芹那は何ともないんだ。
そう、必死に思い込んでは、
頭を掠める病気を払い除けていた。