***

「……つまんなーい」

 休日がやってきて勉強会が始まった。と思いきや開始後30分で浮島がため息をつく。ペンをくるくると回しながら、もう片方の手で頬杖をついている。

「オレさー、勉強とかはどうでもいいんだよー。重要なのは『オンナノコの家に遊びにいく』ってこと。しかも家族が出かけているラッキーチャンスじゃん? ワンチャンあるかと思ったら剣淵くんがいるしさぁ……」
「俺がいて悪かったな」
「そもそもワンチャンもないですから」

 浮島の不満に対し、剣淵も佳乃も冷静である。ノートから視線を移すことさえせず、淡々と否定をして返す。

「つーまんなーい。菜乃花ちゃんも二人に何か言ってよぉ。例えば剣淵帰れとか」
「剣淵くん。ここのスペルはeじゃなくてaですよ。発音だけで覚えると間違えるので気を付けてくださいね。テストにも出ると思います」
「助かる」
「おーい……オレを無視しないでー……」

 菜乃花も浮島の扱いに慣れてきたのだろう。こちらも同じく黙々と教科書に目を通していた。その反応に浮島は唇を尖らせて、そっぽを向く。

「浮島先輩も遊んでないで勉強しましょうよ」
「オレ、勉強しなくたってなんとかなる人間だから。テスト勉強とか人生で一度もしたことないし、授業聞けばだいたいなんとかなるでしょ?」

 ピースサインを作って自慢げな浮島に、佳乃は目を見開く。というのもテスト勉強をやっているのに赤点チキンレースをしているからだ。なんて羨ましい話だろう。

 羨望のまなざしを送り何も言えないでいる佳乃の代わりに、剣淵が口を開く。

「……浮島さんを一発殴りてー」
「アハハ、天才でごめんねぇ? でも今日の恰好だったら、剣淵くんの方が頭良さそうに見えるけど。モテそうな眼鏡男子じゃん?」

 浮島の発言につられて、佳乃もちらりと剣淵を見る。

 勉強会と話していたからか、普段よりもラフな格好をしていた。雨の日に見た時のように前髪もおろしているし、黒縁の眼鏡をかけている。そして着ているシャツは以前佳乃が借りたものだ。
 佳乃が着た時はあれほど幅や長さが余っていたのに、剣淵が着ると体に馴染んでいる。同じ服を着たのだと思うと、妙な恥ずかしさがこみあげてくる。くすぐったい気持ちを押し殺すべく、教科書に意識を向ける。

 そうして勉強を再開したかと思えば、早々に浮島の唇が動く。どうやらよほど勉強に飽きているようだ。

「剣淵くんの眼鏡男子も意外だったけど、佳乃ちゃんにもびっくりしたよ」
「わ、私?」
「まさか、弟がいるなんてねぇ……てっきり妹とか一人っ子かなぁって」

 浮島がそう言うと、菜乃花が顔をあげた。

「確かにそうですね。佳乃ちゃんって、お姉ちゃんっぽくないというか……」
「失礼な!」
「その分、弟がしっかりしてるんだろ。」

 しまいには剣淵まで参戦ときたものだ。この室内に味方はいないのかと落胆しつつ、佳乃は答える。

「しっかりしてるのかはわからないけど生意気だよ。私の後をついてきて、一緒に本読んだり、お風呂に入ったりしていた頃が懐かしい」
「おやおや、ちゃんとお姉ちゃんしてるんだねぇ。菜乃花ちゃんは蘭香さんと二人姉妹でしょ、剣淵くんは?」
「姉貴と……兄貴」

 兄貴、と答えたところで一瞬の間が空いた。剣淵の表情も硬く、あまり語りたくないものだったのかもしれない。

 剣淵の姉には会ったことがある。クローゼットの扉越しなので会ったとは言い難いが、互いに認識しあっていたことは確かだ。そこで剣淵の姉は『兄貴』の話をしていた。その時の会話を思い起こすと、剣淵と剣淵の兄はあまり仲がよくないのかもれない。

「オレも兄二人で末っ子だったから、剣淵くんと同じだ」
「佳乃ちゃん以外はお姉ちゃんやお兄ちゃんがいるんですね。やっぱり下に兄弟がいると大変?」
「我慢することは多かったかなぁ。弟が生まれた時の夏休みは知り合いのおばあちゃん家に預けられていて、お姉ちゃんになるのって大変だなって思ったよ」

 その話を聞き、菜乃花が眉をぴくりと動かした。そしておそるおそる口を挟む。

「ねえ。佳乃ちゃんがあけぼの山に行ったのって、その時だよね?」
「うん。私が小学1年生の時だったから、11年前かな」

 佳乃の返答を聞くと、今度は剣淵に視線を移す。

「剣淵くん。UFOを見た時って、何年前?」

 一瞬。剣淵の体がぴくりと跳ねた。しかし菜乃花の強い視線から逃れられず、ゆるゆると吐き出すように答える。

「俺も11年前だ」
「うわ。佳乃ちゃんも剣淵くんも同じ時期じゃん! 本当に二人が会っていたりして」

 浮島がわざとらしく拍手を送って二人を煽るが、佳乃は首を横に振ってあっさり一蹴した。

「私が会ったのは伊達くんだよ」

 もしもこれが『嘘』なのだとしたら、呪いが発動しているだろう。
 だが剣淵や浮島の様子におかしなところはなく、呪いが発動したとは思えない。

 つまりこれは『真実』なのだ。自らの記憶が間違っていないと知って安心する。

「……本当、なのよね?」
「そうだよ。私は伊達くんに会ってる」

 菜乃花が口にした問いかけは、佳乃の呪いについて知った上でだろう。信じられないとばかりに目を丸くしているが、やはり呪いは発動しない。

「ところで、」

 佳乃と菜乃花の間に奇妙な空気が流れていると察したのだろう剣淵が立ち上がる。そして三人の顔を見渡した後、頭を下げる。

「UFO探しを手伝ってくれてありがとう」

 剣淵にしては珍しく殊勝な姿だった。

「最初は嫌なやつらだと思ってたけど、いまは感謝してる」
「おーい。一言余計だぞ」

 頭を下げたままの剣淵に近寄り、肩を叩いたのは浮島だった。呆れたように笑っているが、しかし表情は柔らかい。

「オレはただ暇つぶしと面白そうだから混ざってるだけ。いちいちお礼なんて恥ずかしいことやめてよ」
「ああ。ありがとう、浮島さん」
「面と向かってお礼言われると気持ち悪ぅい。かゆーい」

 そして剣淵は菜乃花を見る。

「北郷も。蘭香センセーを紹介してくれてありがとう」
「いえいえ。佳乃ちゃんがお世話になっているし、それに私も剣淵くんのことを信じているから」

 初めて剣淵に会った時、まさかこんな風に集まって喋ることになるとは思ってもいなかった。強面で無表情で粗暴で、嫌いなところばかりだと思っていたのに、いまは佳乃も剣淵を信頼している。

 剣淵奏斗は最高の友人だ。佳乃こそ、剣淵に感謝している。