「うるっさいわねー、カナト。好きな時にきたっていいじゃない」

 女性の声だった。それを聞いてしまった佳乃の体が強張る。クローゼットの中にいるため誰にも見られることはないが、瞳は丸く見開かれ、心臓がばくばくと鳴って緊張を煽った。

「さっさと用事済ませて帰れ」
「はあ? 今日はそっけないのね」
「て、適当なこと言うんじゃねーよ! 帰れ!」

 二人はまだ玄関にいるらしく隙間から姿は見えず、声しか聞こえてこない。まさか彼女、だろうか。それにしては剣淵の物言いが乱暴すぎる気もする。

「はいはい。用事終わったら帰るから。冷蔵庫あけるわよ」
「勝手にしろ」

 足音が二つ。二人が室内に入ってきたのだ。だがキッチンに入ってしまったらしく、やはりここから姿は見えない。

「ついでだからベッドの下も見ておこうかな。アヤシイものでてきたりして」
「めんどくせーな。勝手にしろ。変なもんおいてねーよ」
「やだぁ。年頃なんだから少しぐらい置いててもいいのに、黙っていてあげるから」

 会話を聞く限り、どうやら剣淵は女性に頭があがらないようだった。振り回されて疲れているのが伝わってくる。
 キッチンから物音が聞こえた。重たい扉の開く音がして冷蔵庫をあけているのだろう。

「ベッドの下と……あとクローゼットとか?」
「……っ、か、勝手にしろ」

 クローゼットの単語が出てきたことで身をびくりと震わせる佳乃だったが、その後に続く剣淵の反応がひどすぎて呆れてしまった。演技が下手にもほどがある。これではクローゼットに何かがあると言っているようなものではないか。

「ふーん? まあいいわ。許してあげる。それよりも――あんた、相変わらずろくなもの食べてないのね」

 どうやらクローゼットへの疑いは晴れたようだ。興味を失ったらしい女性は食材についての話をはじめている。

「リクエスト通りに鶏肉茹でたの持ってきてるけど……ボディービルダーにでもなるつもり? 食べたいものがあったら持ってきてあげるわよ、肉じゃがとかカレーとか」
「特にねーな。電子レンジとポット以外の調理方法がよくわからん」
「……カナトってほんとバカよね」

 それに関しては同意したくなる、と顔もわからない女性の言葉に佳乃は何度も頷く。ここまで調理できないとなると、嘲笑よりも哀れみの気持ちが強くなってしまう。

 クローゼットに身をひそめながら、女性について考えてみる。女性は彼女ではないだろう。親しそうに話しているが、度々剣淵が放つ粗野な物言いを思えば友達という可能性も低いかもしれない。となれば、身内、だろうか。

 そこではたと気づく。春に出会ってから今日までの間、剣淵と接して、こうして家にもあがっているのだが、実は剣淵のことをよく知らないのではないか。彼が一人暮らしをしていることや、オカルト趣味があることを知っていたため、菜乃花やクラスメイトたちよりも剣淵に詳しいと自負していた一面があったが、よく言われれば一人暮らしをしている理由も、家族構成もわかっていないのだ。

 そうなると――不思議なことに好奇心がわいてくる。扉の向こうにいる剣淵が気になって仕方ない。

「ねえ、カナト。夏はどうするの?」

 女性が言った。