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 前回と同じく、男物のシャツとハーフパンツを借りて着替えたものの、やはりサイズが大きい。肩幅はあまるし丈も長い。特にハーフパンツのウエストがゆるくて、気を抜けばずり落ちてしまいそうだ。

「……剣淵って、面倒見いいよね」

 面倒見がいい、と佳乃に言われたからか、テーブルをはさんで向かいに座っていた剣淵が「あ?」と不機嫌な声をあげた。

「なんだかんだ言いながら服とかタオルとか貸してくれるでしょ?」
「お前のためじゃねーよ。んなびしょ濡れのやつが家に入ったらめんどくせーからやっただけだ」
「でも、ありがとう」

 佳乃が告げると、剣淵はむすっとしたままそっぽを向いて「おう」と短く答えた。表情は固いがそこまで不機嫌ではないのだろう。感謝されて照れているだけなのかもしれない。

 そのまま剣淵も黙り込んでしまうものだから、気まずい空気が流れる。それを払拭すべく、佳乃は声をかけた。

「剣淵って一人暮らしなんだよね?」
「おう」
「……お湯、好きなの?」

 佳乃はテーブルに置かれたマグカップを指さした。今回も例にもれず、湯気たつ透明な液体に満ち満ちている。まだ口をつけてはいないがお湯なのだろうと予想がついた。見れば剣淵のカップにも同じくお湯が注がれている。

「なんだよ、文句あんのか」
「前に聞いた時、牛乳があるって言ってたでしょ? なんでお湯なんだろうって思って」

 確かこの家にあるのは肉と卵と牛乳だったか。ならば牛乳を温めて出せばいいのに、と思うのだが。そんな佳乃の考えは通じていないらしく、剣淵は首を傾げた。

「冷たいだろ」
「えっ」
「牛乳はあるけど、温かい飲み物じゃねーだろ、あれ」

 剣淵の言葉を理解するのに時間がかかった。鍋に牛乳を入れて温めればいいと思っていたのだが、どうやら剣淵にその発想はないらしい。

 もしかするとこの男は――おそるおそる、聞いてみる。

「あのさ、普段、何食べてるの?」
「バカにしてんのか。米と肉と卵食ってる」
「それ、料理してる?」

 呆れ気味に佳乃が聞くと、剣淵は答えづらそうに「あー……」と唸った。

「知り合いが茹でた肉を持ってきてくれっから、それ食ってる」
「お米は?」
「知り合いが持ってきた冷凍したご飯を食ってる」
「……卵は?」
「飲んでる」

 佳乃は頭を抱えた。ここまで料理のできない男が存在するとは思っていなかった。さらにそれが目の前にいるなんて。
 運動神経もよく成績だっていいのに。天は二物を与えないというがいまならよくわかる。

「……で。偉そうに俺に聞いてるお前はどうなんだよ」
「わ、私? 上手じゃないけど剣淵よりはマシだよ。インスタントラーメン作れるもん」
「インスタントラーメンかよ……」

 剣淵よりはマシだと思っているのだが、呆れかえった反応を見るに似たレベルなのかもしれない。佳乃が生卵を飲むことはしないが。

「そんなんでよく一人暮らしの許可でたね。奇跡だ」
「うるせー。学校に行けば購買でパンとか売ってるだろ、それ食ってるから困らねーんだよ」

 確かに剣淵は購買組である。昼休みになればすぐに購買部へ向かい、パンやらジュースやらを買いこんで自席に戻ってくる。いま思えば、剣淵にとって昼がご馳走だったのではないか。朝や夜はここで茹でた肉と生卵と解凍したご飯を食べていたのだから。

「剣淵はご飯作ってくれる彼女を探した方がいいね」
「は、はあ!?」
「うん。その方がいい。じゃないと剣淵、どんどん痩せてく」

 何気ない一言だったのだが、剣淵は狼狽えているようだった。はあ、と深く息をはいて肩を落とし、手で顔を覆いながらぶつぶつと呟く。

「これだから女は……すぐそういう話に結び付けようとすんだよな」
「あと! 彼女ができた時にお湯なんか出さないように、コーヒーとか紅茶とか買っておいた方がいいんじゃない?」
「いらねーよ、んなもん」
「そう言いながらモテるでしょ。体育祭でファンも増えたし、剣淵がその気になればいつだって――」

 そこまで言って気づく。向かいに座っている剣淵が、真剣な顔をしてこちらを見つめていた。浅い会話では許されないとばかりに、まなざしに緊張が含まれている。

「お前は……伊達のことが好きなんだろ。なんでここにきたんだ」

 ここにきてから自ずと本題を避けていた。それに触れてしまえば、剣淵の部屋にいることができなくなってしまいそうで、もう少し指先が温まるまでと思っていたのだ。しかし指先どころか体まで、雨の冷たさを忘れている。
 本題を求めるように送られる視線に対し、佳乃は逃げずに向き合った。

「私は、伊達くんのことが好き、だけど」
「なんであいつが好きなんだよ」
「それは……」

 言うまいか迷ったが、ここまでたくさん協力してくれた剣淵なのだ。話してもいい頃だろう。