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 席に戻ってからは大変な目にあった。二人三脚の出来事を目撃した生徒たちから「伊達くんと付き合っているの?」と質問攻めである。伊達が女子生徒に人気なために、生徒たちの動揺は大きかったようだ。
 付き合っていない、剣淵の代走だと説明するのも時間がかかり、ようやく解放されたのは午後の部の最終種目、学年選抜リレーがはじまる頃だった。

 この学校でのリレーは学年男女別となっており、それぞれの学年の紅組、白組から選ばれた四人の選手が走ることになっている。足の速い者はアンカーを担当するのが決まりで、今年の二年生紅組男子のアンカーは剣淵が選ばれていた。

「リレー、楽しみだね」

 見知った顔がリレーに出るからか、菜乃花の声はいつもより弾んでいる。
 対して佳乃はというと、女子生徒に弁明するのに疲れていて、体育祭どころではなかった。それに生徒玄関でのことを引きずっていて、剣淵の姿を見るのも憂鬱である。何について怒っていたのかわからず、悶々と考えてしまうのだ。

「……転べばいいのに」
「こら。応援してあげないと」

 佳乃が恨み言を呟いている間に、二年生男子のレースが始まった。ピストルの合図と共に、第一走者が走り出す。
 四人でトラックを一周。佳乃たちの席の前はアンカーである第四走者が走ることになっている。ゴール間際の白熱した戦いを目の当たりにできる好スポットだ。

「今年は白組が勝つかもね」
「どうして?」
「白組、陸上部の子が多いの」

 菜乃花は詳しいな、と感心しながらレースを追いかける。菜乃花の予想通り、第一走者の争いは白組が優勢だった。みるみる差が広がっていく。

 第二走者にバトンが渡っても、やはり白組がリードしていた。広がった差はなかなか縮まりそうにない。
 佳乃から見れば憧れである。選抜選手に選ばれるなんて羨ましい話だ。ぜひ一度でも選ばれてみたいものだが転びそうなので、妄想だけに留めておく。

「第三走者も白組の方が速いんだよね……この差なら厳しいかも」
「でも最後が剣淵でしょ? なんとかなるんじゃない」

 佳乃が言うと、菜乃花は「うーん」と渋い表情で答えた。

「さすがの剣淵くんでも、厳しいと思う……かな」

 第二走者から第三走者へと移る。じわじわと差が縮まってはきているが、追い越すのは難しそうだ。

 リレーがはじまり応援にわいていた観客席も、次第に諦めの空気が漂ってくる。

「……佳乃ちゃんはどう思う? 紅組勝つと思う?」
「私は――」

 ゆるやかなカーブを走り、第三走者がアンカーに近づいていく。それと共に剣淵が姿勢を整えた。
 第三走者の頑張りによって差は縮まったが、追い越せるのだろうか。じっと剣淵を睨みつけて考えていた時、ふと合宿の会話を思い出した。

 剣淵が走りこんだり体を鍛える理由を聞いた時、眩しいと感じたのだ。それは夏の太陽に似てじりじりと照り付ける、しかし一度知ってしまえば忘れられない強烈なひかり。
 今日だって不機嫌で怒っていて近寄りがたい男だが、ひたむきな一面を持っているのだ。だから剣淵なら――

「剣淵なら、勝つと思う」

 トラックをぐるりと駆け抜けてきた風が、近づく。白組はアンカーへバトンが渡ったところだが、まだ剣淵は動き出していなかった。

 そして第三走者が運んできた荒々しい風が、剣淵の手に託される。

 駆けていく。グラウンドの喧騒を飲みこみ、ねじ伏せていく圧倒的な速さで。

 その長い足が地に着いたと思えば、弾け飛ぶように蹴りあげる。
 まるで後悔を振り切るように、まっすぐ前だけを見て進んでいく。普段と少し違うその表情は悔しいけれどかっこいいのかもしれない。女子たちが黄色い声をあげるのも、いまだけは納得できる。佳乃は息を呑んで、観客席前を通過する剣淵を目で追っていた。

 前を走っていた白組のアンカーとの差が縮まっていく。これなら紅組は逆転できるのかもしれない。周囲は起こるかもしれない逆転劇に思いを馳せて、剣淵に声援を飛ばしている。

 剣淵が通り過ぎて最後の直線に向かおうとした時、隣にいた菜乃花が首を傾げた。

「剣淵くん、いつもと少し違ったね」
「あー……そうだね……」
「うん。なんだか、怒っているみたいな」

 他の生徒たちにはわからない。佳乃と菜乃花だけが気づいたもの。
 怒っているのではないか、と言われた剣淵はそのまま直線コースで白組走者を抜き、一着でゴールラインを踏み越えていった。

「……私、怒らせることしたのかなぁ」

 佳乃が呟いても、それがグラウンドの中央にいる剣淵に届くことはない。走り終えて息苦しそうな剣淵は、やはり怒っているようだった。

 二年男子リレーの大逆転劇に歓声があがる中、佳乃は複雑な思いを抱えて剣淵を見つめる。いくら考えても彼の怒る理由がわからず、近づいたかと思えば離れていくこの状況に寂しいと思ってしまった。

***

 剣淵と佳乃の仲は冷えこみ、体育祭は終わる。体育祭の晴天が幻だったかのように天気は崩れだし、ぐずついた天気は二人の関係を示しているようだった。顔を合わせても会話すらせず、特に剣淵は機嫌が悪いまま。

 そして、日曜日。佳乃にとって待ち遠しかったデートである。だが外にでれば、肌に纏わりつく湿度、どんよりと重たい空。
 その日は雨が降っていた。