「これ、貸してくれてありがとう」
「別に。濡れた服は洗濯機に入れておけ。乾くのにそこまで時間かからねぇと思う」

 バスルームを出ると、剣淵はキッチンコンロの前にいた。キッチンには炊飯器や鍋といった調理器具が並んでいるが種類は少ない。これまた部屋と同じように綺麗に整理整頓されている。
 佳乃が知らないだけで、剣淵はマメな男なのだろうか。首を傾げながら観察していると、剣淵がマグカップを二つ持ってきた。

「飲め」

 疲れているからだろうか、剣淵が優しい気がしてしまって、佳乃は少し緊張しながら床に座り込んだ。ソファや椅子もなく、クッションや絨毯もないむき出しのフローリングからひやりとした冷たさを感じる。

 対面に座った剣淵は首からタオルをさげていた。佳乃が着替えている間に濡れた髪を拭いていたのだろう。
 まだかすかに水分を含んで重たい髪型や眼鏡をかけていたりと普段と違う姿にどぎまぎしながら、逃げるようにテーブルへ視線をやった。

 部屋の中央にあるガラステーブルには剣淵が持ってきたマグカップが二つ置かれていた。湯気がのぼっていることから温かいことはわかるのだが、覗き込めば色はなくカップの底まで見えるほど透明である。

「これ、なに?」

 コーヒーや紅茶といった香りが漂うこともない。飲み物の香りは一切ないのだ。その正体がわからずにいる佳乃に対し、剣淵はさも当たり前のように答えた。

「お湯」
「……は?」

 マグカップに入れてきたのだから期待してしまったのだが、まさか来客にお湯を出すやつがいるとは。
 驚きにぽかりと口を開いている佳乃の前で、剣淵はコップに口をつける。ごくり、と一つ喉が鳴って、お湯を飲んだのだろうとわかった。

「来客に出す飲み物がただのお湯……」
「うるせーな。この家にんなもんねぇんだよ。あるのは肉と卵だけだ。わがまま言わず飲んで、温まれ」

 剣淵が不機嫌そうに顔をしかめたので、仕方なく佳乃も一口飲んでみる。飲んでみれば、実は味がついていたり美味しかったりするのだろうかと思ったが、やはりただの水である。味はまったくない。

 だが確かに体は温まるのかもしれない。少し熱く、その温度を口に含めば全身にしみわたっていく。

「剣淵は一人暮らしなの?」

 少し緊張がほぐれて、佳乃は剣淵に聞いた。二人してこの狭い部屋で無言というのもつまらないと思ったのだ。
 普段ならばそっけなさそうにしている剣淵も今日は大人しかった。むすっとした表情はしているが、素直に答える。

「まあな。理由《わけ》あって、いまは一人だ」
「理由?」
「……お前には関係ねーよ」

 突き放す言い方をされてしまい、佳乃は口を閉ざした。プライベートのことを教えるつもりはないのだろう。