その後は各々帰ることとなったが、菜乃花は用事があるからと職員室に戻っていった。浮島と二人、並んで帰り道を歩く。

 またからかわれるかもしれないと構えていた佳乃だったが、隣を歩く浮島の様子はいつもより静かで、口数も少ない。

「……佳乃ちゃんさ、」

 無言のまま歩いて、ようやく浮島が口を開いた。その声は表情から察していた通り、沈んだものだ。

「呪い、解きたいの?」
「そりゃ解きたいですよ」

 呪いなんてものがなければ、こんな失恋もすることがなかった。剣淵と出会うこともなく、二人が傷つくことはなかったはずなのだ。

 やはり呪いを憎んでしまう。そして今からでも、解きたいと思ってしまうのだ。

 佳乃の返答に浮島は詰めていた息をつき、足を止めた。

「呪いを解いたら剣淵と仲直りできるかもしれない。そう考えているのなら、やめようよ」
「……っ、考えて、ます」
「だと思った。そういう顔してたから」

 浮島はうつむき、かすかに笑っているように見えた。しかし楽しいものではなく、悲壮感を漂わせている。

「オレ、佳乃ちゃんが好きだし、奏斗のことも可愛い後輩だと思っているよ。二人とも友達だと思ってる――だけど、呪いを解くために無茶なことはしないでほしい」

 大丈夫ですよ、と言うことはできなかった。伊達のおかしな様子や呪いについての言動など、引っかかるものが多すぎて、明日は何事もありませんよなんて言えば嘘になってしまう。

「呪いなんて解かなくていいんだ。それともそこまでするほど、奏斗のことが好き?」

 問われても、答える勇気がでない。剣淵のことは好きだ。でもそれをまっすぐ伝えられないほど、浮島の瞳が切なく揺れていた。

 佳乃はカバンにつけたハリネズミのキーホルダーをぎゅっと握りしめる。


 一歩、浮島が踏みこむと共に風が吹いた。
 ふわりと優しく佳乃の髪を揺らし、しかしそれは爽やかなものではなく、心地よい湿度を纏って佳乃を包み込む。それからすとんと、佳乃の頭が浮島の胸に落ちた。

 抱き寄せるというよりは、引き寄せるように。佳乃の体を掴んだ腕に力が込められていたのは、それほど浮島に余裕がなかったからだろう。

「ねえ、オレにしてよ」
「……浮島先輩」
「オレならどんな呪いにかかっていても佳乃ちゃんを幸せにする。だからオレを選んで。伊達くんのところにも奏斗のところにも行かないで」

 少し冷たいはずの秋風が、夏に戻ってしまったかのように。くっついた距離は熱く、佳乃の頬を赤く染める。
 腕の中は温かくて、居心地がよくて――泣いてしまいそうになるのだ。浮島からぶつけられた感情は切なくて、佳乃が抱えた失恋の傷も深いから余計に。

 呪いにかかっているとしても、ここまで想ってもらえるなんて幸せなことだとわかっている。浮島のそばで甘えることが最も楽な道なのだろう。


 その時、佳乃の視界で、何かが揺れた。

 見ればハリネズミのキーホルダーだった。頼りなげにカバンにぶらさがったハリネズミがぐらぐらと揺れている。その姿に、やはり思いだしてしまう。

「ごめんなさい……私、まだ剣淵を諦められない」

 まだ頭に、唇に剣淵が焼き付いている。それを無視することはできない。佳乃が告げると、浮島はぎゅっと強く抱きしめた後、腕の力を緩めた。

 ゆるゆると離れた浮島は悲しそうにしていたものの、口元だけは微笑んでいる。佳乃がこの選択をするとわかっていたのかもしれない。

「……こういう時に、嘘をついてくれてもいいのになあ」
「す、すみません」
「いいよ、謝らないで――そのキーホルダー、可愛いね」

 そう言って、佳乃のかばんを指でさし示す。

「そのハリネズミ、奏斗に似てる」
「……私もそう思います。汗だくで走ってるところなんか特に」
「悔しいけどめちゃくちゃ似てる。それ、オレにちょうだい」

 佳乃の返答を聞かず、浮島はキーホルダーに手を伸ばす。そしてあっという間にカバンから外してしまった。

「オレの失恋記念。こいつに負けたんだって覚えておかなきゃ」

 浮島は佳乃を置いて、歩き出す。

 こんなに切なくなるほど佳乃を好きになって、そして心配してくれたのだ。
 浮島の想いを受け取ることはできなかったけれど、そのことだけはずっと忘れずにいたい。隣を歩く浮島を見上げ、心の中で感謝の言葉を呟く。

 好きになってくれて、ありがとう。

 声に出さずとも届いたのだろうか。浮島は佳乃をじっと見て、それから優しく頭を撫でた。