しかし状況は変わった。

 父と母の離婚が成立し、母は八雲を連れて家を出て行った。剣淵とその姉は父が親権を持つこととなったが、鷹栖家に置いておくわけにはいかず、すぐに迎えがきて、剣淵たちもあけぼの町を去ることとなったのだ。

 それだけではない。不運は続き、夏の終わりに鷹栖おばあちゃんが亡くなった。
 脳卒中にて倒れ、見つかった時にはもう手遅れだったらしい。不運にも娘や孫、知り合いの子らも帰った後で、家には鷹栖おばあちゃん一人しか残っていなかった。

 葬儀は夏休みが終わる前日に行われ、そこに三笠佳乃の姿があった。

 高熱を出している間に自宅に帰ってしまったため、剣淵に別れの挨拶ができなかったことを悔やみ、もう一度会いたいと思っていたのだ。

「いないなあ……どこにいるんだろう」

 家の中を探しても剣淵の姿はない。
 剣淵は既にあけぼの町を去り、父と姉と共に暮らしていたため来ることができなかったのだ。
 それを知らない佳乃は、これから来るのだろうと庭に出て待っていた。
 その日は天気が悪く、しとしとと降り注ぐ雨粒が佳乃の体を濡らしていく。

「……泣きそうになったら呼べって、言ってたのに」

 鷹栖おばあちゃんにも剣淵奏斗にも、もう会えないのかもしれない。

 だがどうしても会いたい理由があった。
 彼の顔が、わからないのだ。彼の名前が本当に『剣淵奏斗』だったのかも、記憶がおぼろで自信がない。
 だからもう一度。佳乃の記憶が正しいのだと確証を得たかった。夏休み共に遊んだ者の顔を、名を、確かめたかった。

 しかしどれだけ待っても来る気配はない。
 佳乃の頬から滑り落ちた熱い涙が、雨に混じって落ちていった、その時である。

「泣かないで」

 佳乃の頭上に掲げた青い傘が影を生む。見上げるとそれは剣淵ではない男の子だった。

「だれなの?」

 佳乃が聞くと、その男の子は困ったように微笑み、あたりを見渡す。それからゆっくりと告げた。

「伊達……享だよ。だから泣かないで」
「だて、とおる……」
「夏にいっぱい遊んだじゃないか。僕のことを忘れちゃったの?」

 涙が、ぱたりと止まった。佳乃は伊達の顔をじいと見つめて答える。


 焼き付いていく。夏を共に過ごした者の、顔や名が。
 泣かないと約束をしたのだ。だからその通りに、涙が止まる。

 伊達享。その名を心で唱えれば、冷えた体が温まっていくようだった。

「そうだったね。たくさん遊んだね、一緒にあけぼの山探検もしたね」
「そうだよ。僕と一緒に遊んだんだよ――だから泣かないで」