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 三笠佳乃が去った後。教室に残ったのは浮島と伊達と、奇妙な組み合わせだった。
 追いかけるように教室を出ようとした伊達を浮島が引き止める。

「……大変だねぇ、王子様。タヌキちゃんモテモテだよ」

 その言葉に反応して振り返る伊達だったが、そこに王子様と呼ばれる優雅さもなければいつもの余裕さもない。表情筋はぴくりともせず凍りつき、浮島を睨む瞳は鋭利な刃物のようだった。
 一瞬ほど、浮島は息を呑んだ。伊達享が冷酷さを隠し持っていることは予想していたものの、目の当たりにしてしまったのはそれを超える、もっと冷ややかなものだったからだ。

「僕をからかって遊ぼうなんて考えない方がいいですよ」
「遊んでいるわけじゃないよ、こう見えても結構本気なんだ。君が王子様のふりをしている間に、悪ぅい人があの子を奪っちゃうかもね」

 再び煽るが伊達の表情は氷のまま、変わらない。


 伊達は佳乃のことを好いているようだが、両想いとなるつもりはないらしい。しかし遊びではないだろう。だからこうして、浮島をいまにも射殺してしまいそうな顔をしている。本気で佳乃のことが好きならば、なぜ佳乃の気持ちを受け入れないのか。その理由を知りたいが、それよりも伊達を焦らせたらどんな反応をするのか確かめたくてたまらないのだ。

「オレ、佳乃ちゃんに告白したんだよね」
「……浮島先輩も、ですか」

 浮島の言葉に伊達の様子は変わらなかったが、しかし気になるものがあった。すかさず浮島がその隙をつく。

「複数形ってことはオレ以外にも佳乃ちゃんに告白してるんだねぇ。それって伊達くん?」
「……さあ、どうでしょう」

 その返答に、浮島は考える。

 伊達が告白をしていたとしたら、佳乃の態度が何も変わらないのはおかしい。あの正直な子だ、ここで伊達と会った時に面白い反応を見せてくれていただろう。だとするなら浮島以外に誰が。

 そこで浮かんだのは、剣淵奏斗だった。

「ねえ、知ってる? 佳乃ちゃんさ、小学生の頃の夏休みに思い出があるらしいよ」

 伊達は剣淵のことを快く思っていないのかもしれない。その推測から、佳乃から聞いた夏の話を持ち出す。すると浮島の勘は当たり、伊達の表情にわずかな変化が見られた。

「ええ。知っていますよ。彼女と出会ったのは僕ですから」
「うんうん、そうだよねー。でも――その時期に、剣淵くんも君たちと同じ町にいたんだよ」

 伊達の瞳がかすかに揺れ、見開かれる。その反応に浮島はにたりと笑った。

「今年の夏休みにみんなで遊んだんだけど、あの二人って仲良くってさ、転んで足をくじいちゃった佳乃ちゃんを剣淵くんが背負ったんだよねぇ」
「……そ、れは」
「いいの? 佳乃ちゃんをとられちゃうかもよ」

 言い終えて、ちらりと様子を伺う。

 浮島の望み通り、伊達は平静を欠いているようだが――しかし、その反応は異常なものだった。
 ぴんと伸びていた背は崩れ、ふらりと壁にもたれかかる。うつろな瞳は教室の床に向けられ、もはや浮島なんて眼中にないようだ。

「なぜだ……まさか、解けている……そんなはずは、……改変したはずだ……」

 うわごとのように何かをぶつぶつと呟いているのだが全ては聞き取れなかった。

 ふらふらと歩き、おぼつかない足取りで教室を出て行く。
 その異質な姿が気になり、名を呼んで引き止めてみるも、伊達は振り返らずそのまま廊下を歩いていってしまった。

 学校で一番のプリンス。欠点なんて存在しない。それが伊達享だったのだが、浮島が知ってしまったのは王子様とは言い難い姿。
 ぽつんと一人教室に残されてから、浮島はぽつりと呟く。

「……やっぱ、留年したいなぁ」

 あの完璧な男がここまで動揺するなんて、三笠佳乃に関わると面白いことばかりではないか。

 それに。佳乃に告白したのが剣淵なら最悪の展開だ。伊達よりも手ごわいライバルである。
 剣淵のことはかわいい後輩で、友達だと思っている。それが同じ子を好きになったのなら――こういう時、一年の空白が惜しくなる。佳乃と同じ学年の剣淵が羨ましい。

「奏斗が相手って……勘弁してほしいよね」

 いつだったか『無意識のうちにキスをしてしまうのは佳乃のことが好きだからだ』と煽ってしまったことを後悔する。
 その時は面白いからと剣淵を唆してしまったが、まさか浮島自身が佳乃を好きになるとは想像もしていなかった。

 悔やんだところで遅く、最悪のライバルが存在する事実に浮島は落胆するだけ。どうしたものか、好きになった女の子は呪いにかかっていて、そしてなぜかモテる。面倒な恋の戦争に巻き込まれていると、浮島は苦笑した。


 そして――剣淵と八雲の話し合いが翌日と迫った日である。
 誰が言い始めたのか決戦は金曜日。

 動いたのは、伊達享だった。