再び隣に並んで歩きだすと、今度は剣淵から話を切り出す。それはやはり八雲のことだったが、幾分か怒りは和らいでいるようだった。

「……前に、兄貴のこと少しだけ話しただろ」

 佳乃は頷く。

 夏休み、あけぼの山に行った時に剣淵が話していた。夏の日、祖母の家にやってきた剣淵兄弟だったが母親は剣淵の兄――つまり八雲だけを連れていなくなった。両親が離婚し、母親に置いて行かれた剣淵の寂しさを想像し、佳乃の表情が曇る。

「最初は、なんでおふくろが俺と姉貴を置いていったのか訳がわからなかった。その前日まで何も変わらず普段通りだったのに、なんでおふくろと兄貴がいなくなったんだろうって考えてた。離婚は……仕方ねーことだけど、俺を置いていったことが許せなくて、ずっとおふくろを恨んでた」
「……それは、恨んじゃうかもしれない。私が剣淵だったら同じ気持ちになる」
「兄貴のことも恨んでた。嫉妬みてーなもんで、あいつだけおふくろに選ばれたから許せなかった。何回も連絡をもらってたけど無視していたのは、兄貴に嫉妬していたからだ」

 自嘲気味に呟いて、剣淵は俯いた。

「兄貴は嫌いじゃねぇんだ、ただ羨ましかっただけだ。だから、会った方がいいんだろうなってわかってる――けど、怖い」
「剣淵……」
「俺は、どうしたらいいんだろうな」

 こうして佳乃に語ることも剣淵にとって勇気がいるのだろう。かばんを掴んだ剣淵の指先がかすかに震えていた。その弱弱しい姿に胸が痛む。

 佳乃なら、どうするだろう。その状況で兄と会うだろうか、それとも会わないだろうか。だが会わずに兄が遠く離れてしまったら、いつか後悔してしまうかもしれない。

 剣淵奏斗は優しくてしかし不器用な男だ。努力を隠し、傷ついても隠し、不機嫌そうにしながら実は周りをよく見ている。いまでさえ辛そうな顔をしているのに、ここで会わずに後悔を背負ってしまったら――そこまで考えた時、佳乃の体は勝手に動いていた。剣淵の前に立ち、手を掴む。

「……悩んでるなら、会うべきだと思う」

 震える手を両手で優しく包みこむ。まだ暑さの残る秋だというのに、剣淵の指はひやりと冷たかった。

「お兄さんが遠くに行ってしまったら、剣淵はいつか後悔するかもしれない。それなら、会って後悔した方がいいと思うの。もしも辛くなったりイライラした時は、私が話を聞くから」

 剣淵の目が丸くなり、じっと佳乃を見つめている。

 佳乃の言葉を反芻しているのか、剣淵は歩みを止めて硬直していたが、佳乃はその手を離そうとしなかった。味方になる、支えになると告げるように剣淵の手をぎゅっと握りしめる。

 すると、不機嫌はどこへやら。剣淵は声をあげて笑いだした。

「……っ、はは、すげー顔」
「はあ!? 人が大事なこと話してる時にひどくない?」
「悪い。つい、面白くて」

 そう言って、剣淵は佳乃の手を握り返す。

「目、覚めたわ。お前のおかげだ。兄貴に会う。でも一人じゃ怖いから――お前も来てくれ」

 大事な時に同席していいものかと悩んだが、八雲と会うのに勇気がいるのなら、その勇気を佳乃がわけてあげられるのなら、力になりたいと思った。

「わかった。私も一緒に行く」

 そう告げると、重ねていた手が離れていく。

 掴んでいたはずの場所がぽっかりと寂しくなり、そこに秋風が吹けば寒さを痛烈に感じる。思えば、佳乃よりも少し大きいてのひらだったのだ。とっさに手を握りしめてしまったものの、離れてしまえば物足りない。

「おい、何ぼけっとしてんだよ。行くぞ」

 その感情が剣淵に伝わってしまわぬように飲みこんで、再び歩き出した。