挨拶をして化粧室を出ようとしたけれど、呼び止められて足が止まる。ゆっくりと振り返ると、真っ直ぐ私を見つめる磯部さんと目が合う。

呼び止められたものの、彼女はなにも言葉を発しない。ただ、私を見つめるばかり。

そんな彼女から私も視線を逸らせずにいた。少しすると、磯部さんは力強い声で言った。

「私はあなたのこと、絶対に認めないから」

「――え」

驚く私に、彼女は怒りを含んだ目を向ける。

「親同士が決めた結婚なんて認めない。……有坂さんは上杉部長のこと、本気で好きではないんでしょう? 彼に相応しい人じゃないあなたに、絶対に渡さないから」

宣戦布告すると、彼女は私の横を通しすぎ、颯爽と去っていく。上品な香りを残して。

コツ、コツ……とハイヒールの音が徐々に聞こえなくなっていく。

絶対に渡さないって……そんなこと言われても困る。

だって私、誰かを好きになったことがないもの。本気で好きになる気持ちがどんなものなのかわからない。それなのに……。

拳をギュッと握りしめた。

どうしてこんなに胸が騒つくんだろう。

今まで抱いたことのない気持ちを抱えながら、始業ギリギリにオフィスへ戻った。