そしてその翌日ーー父は自殺した。


首を吊って死んでいたのを母が発見した。母は慌てて救急車を呼んだが間に合わなかった。私に父が死んでいる姿を見せないようにと母はしていたが、私は父のあの昨日まで温かかった手が赤黒く腫れていたのを知っている。

担当者が何度か、工場に来て母と話していたが、私はもう盗み聞きもやめた。あの担当者の顔を見るだけで吐き気がしてトイレにこもった。


母はそんな私を見て、母の実家に引っ越してくれた。誰よりも1番悲しいはずなのに、気丈に振る舞う母。パートを掛け持ち私に不自由なく暮らせるよう働く姿を見て私も徐々に立ち直っていった。


だけどー...

母はとうとう身体を壊した。気丈に振る舞っていた母だけど、父が死んでから毎晩遅くに泣いていた。無理してパートを掛け持ち、夜遅くに帰ってきて泣いていた。母の実家だから家事の負担は少なかったけど、それでも母に寝る時間など殆どない。いや、もしかしたら母は父が死んで眠りにつけなかったのかもしれない。

そんな母でも私のお弁当だけは毎日欠かさず作ってくれた。自分で作るといったが、菫のお弁当を作る事がおかあさんにとって生きがいなの、とやめなかった。

身体を壊して病気になっても尚、私に心配させまいと気丈に振る舞う母。私は悔しくて悔しくて仕方無かった。この頃から私の心に芽生えた復讐心。


それが私の人生を捨てる覚悟が出来るまで大きくなった時には、母はもうこの世にはいなかった。鬱状態、免疫の低下、様々な病気に苦しんで母は弱って去っていった。ただ母は亡くなる前日まで、私に笑顔で微笑んだ。私に向けられたその微笑みが、私の怒り、憎しみ、苦しみ....全ての黒い感情を更に増長させる。


母が死んでから、自分の行きたかった進路を変え、県で1番の公立高校に入り、部活は入らず勉強に勤しんだ。

その頃から私には、あの担当者と会社しか見えていなかった。



八重津壮一.....絶対に同じ苦しみを味あわせてやる。

計画性は殆どない。ただこの漠然とした復讐心が私の人生を変え、突き動かしていた。
この感情がなければ、両親の後を追っていただろう。



ーー私が高校に上がる頃、八重津壮一は父から引き継いで社長になっていた。