悪魔の花嫁

第四章「悪魔、女子高生に完全降伏しそう」



 十全の一日はとにかく忙しい。
 朝9時、十全からの短い朝礼をして仕事の引き継ぎ。
 その間も返済の相談、融資の申し込みの電話が鳴る。
 電話応対は黒服の仕事だ。
 自社ビルの三階は電話機のずらりと並ぶ、コールセンター業務専用になっており、経理のアルバイトと社長である僕は二階で事務を行う。
 もちろん黒服以外の社員もアルバイトもいるが、離職率は高いので常に求人をだしている。
 時給も社会保障もかなりの好条件だと思うが、驚きの黒服率と、怪しい職場に堪えられず心を壊して退職するものが後を経たない。
 これは仕方が無い事だと十全は半ば諦めている。
 中小企業社長の頭痛の種は尽きない。
 午後は、優良顧客に営業の電話、返済の遅れている人に督促の電話や電報、役所に借用書を送り、住民票請求の作業は従業員と共に作成。
 返済しないで逃げた人の行方探しは黒服が主に行う。
 取りたてに関しては、黒服は正直、人間よりも有能だ。
 もとは僕の眷属である下級の悪魔であるが、日本の消費者金融で働くことになるとは、思いもしなかっただろう。
 よく僕の眷属でいてくれるものだ、たまに十全は彼らの忍耐に同情を禁じ得ない。
 昼は一時間の休憩。
 眷属には魔力の供給。
 ここまでで、目の回る忙しさである。
 日本に来るにあたり、かなり法律についての勉強をしたが、会社経営の多忙さといえば、日本人には頭が下がる。
 たしかに仕事量は増えたが、西洋の金融街で株を動かすより、ここで会社経営を行い魂の回収を行う方が、なかなか効率がいいので正直驚いている。
 日本は裕福な国であるが、何故だかお金に困り、返したくても返せない所まで落ちて行く人間の多いこと。
 これは、病だ。
 この国はゆっくりと病んでいる。
 病みつつあるこの国での商売は、なかなか悪魔にとって住み心地が良いのだ。
「社長、今日はあの美少女は来るんですか?」
 休憩室でタバコを吸っていると、最近ハローワークからの紹介で雇い始めた村上香月(むらかみこうづき)が生意気にも缶コーヒーを差し出してくる。
 村上は今年で三十になるというが、チャラチャラと着飾った若者のようで明るく染めた髪の毛はやわらかくセットされている。
 とても三十になる落ち着きは感じられないが、最近の若者は皆こうなのかもしれない。
 缶コーヒーを、ありがたくいただくとして、この村上、露子の事を酷く気に入っており、彼女が経理のバイトを始めた先月から妙に生き生きと働いている。
 実際、露子が職場に着てから黒服ばかりがゾロリと揃ったこの職場にも花が咲いたように華やかになった。
 彼女は疲れた従業員の皆様の清涼剤と言ったところか。
 十全は結局、露子に名ばかりの秘書件、経理といった役割をあたえている。
 消費者金融という職業はやはり心身ともにすり減るらしく、もちろん悪魔である自分や眷属たちは人々の不幸を楽しむことも可能だが、露子にはそういう汚い部分はなるべく見せたくない。
 大事に、大事に、手中の玉の如く。
 気がつかないのは露子本人ぐらいで、周囲の社員はみな知っている。
「如月露子ちゃんって言うんですよね。名字が違うから、社長の親戚ってわけでもないし、でも凄く大事にしてる。何者なんです?まさか援助交際とか。社長の愛人って噂は本当ですか?だったら、凄く、すごーく羨ましいんですけど。」
 この村上、根は悪い人間ではないのだが、浅慮で口が悪い。
「彼女は僕の大切な女の子だ、君が、ちょっかいをかけるというのなら、あらゆる手段で、君を廃人にしてくれる。」
 十全は横目でじろりと笑う。
「うひゃあ。冗談ですって。」
 村上はへらへら笑いながら休憩室を出た。
「愛人ね、日本語は多種多様だね。」
 十全は村上の事は気に入っている。浅慮だか物言いが面白い。
「愛人っていうより恋人になりたいよ。」
 十全は早く露子に会いたいなと思った。
 今日は金曜日だ。
 二人で遠出してどこかレストランにでも行こう。
 夜景の見えるところがいい。
 十全は溜まった仕事を片付ける段取りを頭の中で考えながら休憩室を出る。
 今日も仕事は溜まっている。
 十全は悪魔のように忙しいのだ。




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 十全こと、ジェルゼン•ソーンが妻を娶りたいと考えた契機は、ごく単純な理由だ。
 欧米の社交界ではご夫人を同伴することが非常に重要なルールであった。
 ジェルゼン•ソーンは毎回自分の友人や、適当な悪魔の女の子を連れてパーティーに参加した。
 彼には同伴する妻が必要であった。
 シガレットルームで悪魔同士の話し合いや、人間を誑かすのにも左手の薬指のリングは有効だ。
 結婚していない男は信用できない。
 そんな人間界の共通認識。
 くだらない理由からジェルゼン•ソーンは妻が欲しかった。
 多分、世の中の女性は総じて彼を避難するであろうが、ジェルゼン•ソーンはそう思ったのだ。
 実際に、知り合いの、同じような考えを持つであろう、女悪魔へ契約結婚を持ちかけたことがある。
 「貴方は寂しい男ね。私はそんなのご免だわ。私が結婚をしないのは、運命の相手を探しているからよ。契約結婚なんて冗談じゃない。」
 彼女は赤い爪をひらひらと動かし、シガレットケースからバージニアスリムを取り出す。
 かすれた声は色っぽく、これで何人の人間を誘惑し、魂を奪ってきたことでろう。
 「私の心を奪ってくれるような男を探しているの。」
 ジェルゼン•ソーンは酷く驚いた。
 彼女のタバコにライターの炎を当ててやる。
 彼女の色っぽい目がすっと細まる。
 金色の睫毛が音を立てそうにはためく。
 しかし、彼の知っているその女悪魔はそういう夢をみるような女ではなかったはずだ。さばさばとして、愛や恋をするような女には見えないし、似合わない。
「意外だ。貴女ほどの悪魔がそんな夢みたいな事を言うなんて、僕は信じられないよ。」
「夢?どこが?恋は信仰と同じだわ。夢なんかじゃない、信じる気持ちこそが重要なの。あなたは恋を信じないの?」
 彼女の吐き出す煙は桃色でハートの形をしている。
「悪魔だって恋ぐらいするし、愛する事もできるのよ?貴方だって知ってるでしょう?ジェルゼン•ソーン。悪魔って愛妻家が多いじゃない。悪魔はいつだって、足りない心のかけらを求めるの。」
「心のかけら?」
「そうよ、悪魔は寂しい生き物なの。人間には叶わない。あの情愛の深さにはとても追いつけない。だから、求める。欲しがる。食らう。寂しいから。」
 彼は彼女の言葉に衝撃を受けた。
 事実、ジェルゼン•ソーンはどんな女でも自分のものにできた。
 だが、満たされない。  
 どんな魂を食らっても満たされない。
 寂しい。
 寂しい。
 寂しい。