「これは病気じゃないし、今食べられなくてもそのうち時期が来たら食欲も出てくるってお医者様に言われたのを忘れたの? 毎回一緒に診察室に入って話を聞いてるのに、しっかりして」
 
芹花はそう言って目を開けると、心配そうに見つめている悠生の頬を軽く撫でた。
気苦労が絶えないのだろう、以前より頬がこけたようだ。
悠生が木島重工業の社長になってから一年以上が経つが、まだまだ若く経験が浅い彼には社長としての余裕はまだない。
前社長の成市が会長職に就き、兄の愼哉は悠生の秘書として彼を支えているが、大企業グループのトップに立つ重責は言葉にならないほど大きい。
そんな状況も、悠生が痩せた理由のひとつだが、体調が優れない芹花を心配し過ぎていることが最大の理由だ。
今も芹花の手を握り、目をうるうるさせている。
芹花は、そんな悠生の愛情が嬉しくないわけではないが、まずは仕事に集中して欲しいと、何度もそう伝えている。
体調が悪いとはいっても、妊娠は病気ではないのだから。
芹花は悠生の手をまだふくらみが目立たないお腹に置いた。
その途端、悠生の手がピクリと震えた。

「おとといの検診でも、つわりがあるのは赤ちゃんが元気に育っているからだってドクターが言ってたし、このままつわりがひどければお薬を処方してくれるって一緒に教えてもらったばかりでしょ? 私の心配はいいから、お仕事に行ってください。そろそろ迎えの車が来るよ」
 
芹花はそう言ってゆっくりと体を起こすが、悠生が慌てて彼女を支えた。
朝起きてすぐはつわりのせいで吐き気がひどく、悠生の出勤の準備も手伝えない日も多い。
お腹が空くと気分が悪くなるのだが、カステラを食べると多少おさまるようで、さっきもひと切れ食べて体を休ませていたのだ。
ようやく吐き気もおさまってきて、悠生のお見送りに玄関までいけそうだ。

「あ、昨日お義母さんから今週末にでも夕食を一緒にしましょうって電話があったけど、悠生さんはお仕事大丈夫?」
「仕事は多分休めるけど、せっかくの休みなのに、どうして本宅に行かなきゃならないんだ?俺は芹花と二人きりでいたい」
 
悠生はソファの背もたれに体を預けた芹花の隣に座り、拗ねたようにそう言った。

「それに、芹花がつわりで苦しんでいるのに、どうして一緒に食事なんてこと言えるんだ?
食べられなくて大変だって言ってるのに」

ぶつぶつと文句を口にする悠生に、芹花は苦笑した。