「緑、悠生が言ったことを忘れたか? しばらくの間、俺の隣で黙ってなさい」
 
成市は緑の手をそっと握り、言い聞かせた。
妻を見つめるその目はとても優しく、愛しい者をいたわる気持ちが溢れている。
悠生と似ているその横顔に、芹花は何故かときめいた。

「でも……芹花さん、とてもかわいらしくて男性から人気がありそうだから。楽しいことのひとつも言えない悠生のことなんてすぐに嫌いになって逃げちゃいそうでしょう? ここは私が頑張って芹花さんを楽しませなきゃだめだと思うのよ」
 
まるで国家戦略でも講じるかのような真面目な声で話す緑を、彼女に負けず真剣な面持ちで成市は頷いた。

「緑の言うことは正しい。俺も納得だ。たしかに悠生はいつもつっけんどんで家族に厳しいしかわいげなんてないな。そうだよな、愼哉。悠生には芹花さんを引き留める魅力はないよな」
 
成市は重々しい声で、緑とは反対側に座っている愼哉に声をかけた。

「その通りですね。母さんの無鉄砲ぶりと周囲を巻き込んで騒ぎを大きくする才能とはた迷惑な性格にはうんざりですが、今回の母さんは、なかなか冴えてます。千春も一緒に頑張ってもらわなければ、芹花さんは悠生に飽きて逃げてしまいますよ」
 
胸の前で腕を組み大げさに頷いているのは、悠生の兄愼哉だ。
シルバーフレームの眼鏡が、彼のクールな印象にしっくりとくる。
その隣には愼哉の妻の千春が控えている。
クールなイメージの愼哉とは対照的な、小柄でかわいらしい女性だ。
芹花と同じ二十代だろうか、太い毛糸でざっくりと編まれた赤いセーターがよく似合っている。
おまけにジーンズ姿でニコニコしている姿はこの場にいる顔ぶれの中で唯一のカジュアルな服装の彼女に、芹花は親近感を覚えた。
ひとりで話し続ける緑にも慣れているのか、まったく動じる様子もなく落ち着いている。
それどころか肩のあたりで切りそろえられたふわふわした髪を揺らしながら笑っている。
結婚してどれほどなのかわからないが、緑にも木島家にもすっかり慣れているようだ。
愼哉は時折千春に視線を向け、彼女の存在を確認している。
ほんの少しでも目を離せば、彼女がいなくなってしまうのではないかと気にしているようで、芹花はおかしくなった。