「うん。もちろんわかってるよ。だけど、別に悪いことをしたわけでもないし、単なる恋愛のあれこれでしょう?」
「単なるって、そこまであっさり言えるのかどうか……悠生さんは大企業の御曹司だし」
「御曹司だからって何? お姉ちゃんも私たち家族も何も後ろ暗いところはないし。それどころか働き者の両親と妹思いの姉に愛されて幸せですってマスコミが来たら言ってやるから大丈夫」
「杏実……」
予想もしなかった杏実の心強い反応に、芹花は口ごもった。
まるで芹花が知っている杏実ではないようだ。
ううん、違う。と芹花は思い直す。
ピアノのレッスンの邪魔をしてはいけないと思い、なかなか杏実と話す時間を作れずにいた。というよりも、本音では、両親からの愛情を独占している杏実を羨む気持ちが彼女との距離を作っていたのかもしれない。
芹花はそんな過去を振り返り、自分の懐の小ささに恥ずかしくなった。
「だからこっちのことは気にしなくていいから。父さんと母さんだって大丈夫だよ。私の学費の心配がなくなったから、これからは自由だってはしゃいでるし、何かあったらここを離れるくらいのことは平気だと思う」
躊躇なくそう言い放つ杏実に、芹花は何も言えずにいた。
胸がいっぱいだというのもあるが、杏実がここまで達観した考えを持っているとは思わなかったのだ。
「杏実って、意外に大人で驚いた……」
ポツリ呟いた芹花の言葉に、杏実はくくっと笑い声を上げた。
「ピアニストを目指すにはね、お金と逞しさが必要なの。冷静というよりもいつでも悠然と構えるというか……。目指すはクールな美人ピアニストだもん」
杏実の飄々とした言葉に、芹花はホッと息をついた。
そしてその夜遅く、杏実から話を聞いた母親から芹花にメッセージが届いた。
【礼美ちゃんの結婚式の時にでもちゃんと話をしなさい。御曹司だかなんだか知らないけど、幸せになれるの? お見合いの話もいくつかあるから、無理だとわかったら逃げてとっとと帰ってきなさい】
芹花はそのメッセージを何度も読み返した。
厳しい言葉だが、母親が芹花を心配しているとわかり、胸が温かくなった。
それにお見合いを無理強いしようとする様子もなく、安心した。
迷惑をかけるに違いないが、踏ん張らなければと、芹花は思った。
その一方で、悠生とは連絡がとれなくなっている。
メッセージを送っても返事がないどころか未読のままで、電話をかけても留守番電話になる。
折り返しの電話を待つが、それすらなく、じりじりとした気持ちのまま、芹花は翌朝を迎えた。
そして、午前九時。
三井法律事務所と出版社のHPに、芹花の顔写真とプロフィールがアップされた。

