『それがね、夏にコンクールで入賞したでしょう? その時に杏実の演奏を聴いた音大の教授から高校に連絡があってね、推薦枠で受験してみないかって言ってくださったのよ。でも、三十倍の倍率だからまさか合格できるわけないし、芹花も忙しそうだから言わないでいたのよ』
よっぽど嬉しいのだろう、興奮した声でひと息にそう言った芹花の母は、スマホの向こうで浅い呼吸を繰り返している。
「そうなんだ、杏実すごいね」
『でしょう? 昔から才能があるって思ってたけど、すごいわよね。まさか学費免除になるなんてびっくりだし』
興奮している母の声を聞きながら、芹花は気持ちを落ち着けるようにバルコニーの向こうの夜景をぼんやりと見る。
自慢の娘である杏実を誇らし気に話す母親には慣れているが、大人になった今でも複雑な気持ちになるのは変わらない。
『そうそう、推薦してくれた音大の教授がね、年明けから週に一度だけど杏実のレッスンをしてくれるそうなの。かなり期待されてるみたいだから、杏実もプレッシャーを感じてるけどね、あの子なら大丈夫。きっと期待に応えていつかは世界的なピアニストになると思うわ』
「うん、そうだね」
『それに、声をかけてくれた教授がね、年明けのオーストリアでの演奏会に杏実を連れて行ってくれるのよ。もちろん杏実だけじゃなくて目をかけている音大生の方たちと一緒にね。入学前から気にかけてもらえるなんて珍しいそうで、杏実も興奮してるのよ』
途切れることなく続く母の言葉に、芹花は小さく息を吐き出した。
「オーストリア……勉強になるね、きっと」
何か話さなければとどうにかそう答えたが、芹花の母がそんな彼女の様子に気付くことはない。
相変わらず大きな声で、話し続けている。
『杏実が通う高校からあの音大に合格したのは杏実が初めてなの。それほど難しい大学なのに、それも推薦枠で特待生。本当に自慢の娘よね』
「うん……」
母親の弾む声に耳を傾けながら、芹花の表情は次第に曇っていく。
夜景を見つめることで動揺を抑えようとしても、瞳は潤み唇は震える。

