「妹さん、杏実ちゃんだったよな。ピアノを聴かせてもらえるかな。俺、幼稚園の頃に兄貴と一緒にピアノを習ってたんだけど両手を別々に動かせなくてさ、すぐに断念した」
悠生はくくっと笑いながら、思い出す。
「足まで使うんだ、無理だよ」
「あ、私も。同じ親から生まれたのに、杏実と違ってまるっきり指が動かなくてダメでした」
杏実がピアノを習い始めた時、せっかく家にピアノがあるのだからと言って母親に勧められ、芹花もピアノを習っていた時期があったのだが、早々に断念した。
手も足も出ないというのはこのことだと落ちこむ芹花の前で、難曲を次々とマスターしていく杏実が羨ましかった。
それに、発表会の時にはキレイなドレスを着てたくさんの拍手をもらう杏実に、悔しい思いもした。
その反動か、杏実がピアノに夢中になればなるほど、芹花は絵に没頭したのだ。
非凡な才能を見せる杏実への両親からの期待を感じるたび、自分が取り残されそうで怖かった。
だから、唯一得意だと言える絵を描き続けたのだ。
親からの注目と期待を求めて、そして、杏実とは別の分野では才能があるのだという見栄のために。
必死で絵を描き続けた。
何年もの間、努力に努力を重ね、ようやく杏実と並んでも引け目を感じなくなった時にはもう、絵をやめたり別の道に進むことなどできなくなっていた。
そこまで自分を追い詰めていた。
「そういえば、悠生さんのお兄さんもピアノが得意なんですよね。悠生さんと知り合ってから、ネットで木島家のこと、色々チェックしちゃったんです」
悠生が気を悪くしないだろうかと心配したが、悠生は気にする様子もなく頷いた。
「兄貴は趣味の範疇とは思えないほどピアノにのめり込んでたんだ。子供の習い事のひとつとして始めたピアノだったけど、兄貴は音大に行きたかったと思う。高校までは有名な先生に師事してたし、コンクールで何度も入賞してた」
「杏実と同じだ。だったら音大に入ればよかったのに……って言っても、無理ですね」
立場がそれを許さなかったのだろう。
日本だけでなく世界にもその事業を広げている企業の後継者だ、趣味では許されることも本業にすることは許されないはずだ。
「俺が長男なら、兄貴にピアノを続けさせてやれたんだろうけどな。そのうち俺が兄貴の片腕になってサポートできるようになれば、ピアノを楽しめる時間を作ってやれるんだけど」
心なしか硬い声が部屋に響く。
芹花は何も答えずちらりと悠生を見上げた。

