「え、天羽さん辞めちゃうの?」
「ヘッドハントでもされたのか?」
「忙しいのはわかるけど、天羽さんが辞めると仕事にならない弁護士ばかりじゃないか?」
「三井所長、辞めないように説得してくださいよ」
 
弁護士や事務担当、職種は問わず、芹花を引き止めようとする声が続き、芹花は慌てた。

「あの、違います。私は辞めません。ただ試験に受かっただけで、仕事は今まで通り続けますから」
 
芹花は思わず立ち上がりそう言った。
けれど、退職すると勘違いさせて申し訳ないと思いながらも、この事務所に自分は必要だったのだと教えられたようで、嬉しくなった。

「それにしても、仕事をしながら一発で宅建の資格を取るなんて、優秀だな」
 
感心したように呟いた三井に、芹花は照れくさくて顔を赤らめた。

「イラストの質の高さで採用を決めたようなものだが、事務仕事も完璧だし弁護士からの評判も抜群だ。俺のスカウト力はかなりのもんだな」
 
三井は満足気に頷いた。

「いずれ宅建の資格を使った職に就くかもしれないが、今回勉強した法律の中には今の仕事に役立つことも多いだろうし、これからもうちで頑張ってくれよ」
「はい。まだまだ頑張ります」

席を立ち頭を下げた芹花に、三井は「お祝いを考えなきゃなあ」と呟きながら所長室に戻った。
二人の様子をうかがっていた周囲からは「おめでとう」という声がちらほら聞こえ、芹花は笑顔で応えた。

「さ、仕事仕事」
 
朝から合格発表が気になって仕事が手につかなかったが、今はとにかく立て込んでいる。
芹花は気持ちを切り替えると、コピーが必要な机の上の資料を手に取った。

「おめでとう。これは私からのお祝いよ。合格すると思っていたから、前から用意していたの」
「え?」

芹花の机の上に小さな包みが置かれたと思うと、傍らから声が聞こえた。
視線を上げると、二宮が立っていた。

「宅建の資格はそうそう簡単に取れるものじゃないのに、よく頑張ったわね。こつこつ地道に勉強してなんでも身に着けるし、もちろん事務仕事も完璧。冗談じゃなく辞めないでね」
「もちろん、辞めませんけど、これってもしかして」
 
芹花は机に置かれた小さな包みを手に取った。
ほとんどの女性がその名前を知っている、有名ブランドの包みだ。
貴金属に興味のない芹花でさえ知っている高級宝石店のもの。

「絶対に天羽さんに似合うから、是非使ってね」
「で、でも、あの。これって絶対に高いものですよね。受け取れません」
 
驚いた芹花は、泣きそうになった目を二宮に向けた。

「だめよ、受け取って。これは事務所をやめないでっていう賄賂だから、遠慮せずに受けとってちょうだい。天羽さんが辞めると滞る業務も多いから、これくらいお安いものよ」
 
二宮は早口でそう言うと、芹花が反論したり包みを返そうとする前に、そそくさとその場を離れた。