(11月第1金曜日)
翌朝、いつものように身支度を整えて理奈の作ってくれたミックスジュースを飲んでいる。飲んだ翌朝のジュースはうまい。

「昨晩は女性とご一緒でしたか?」

「いや、同期と飲んだだけだけど」

「洗濯して匂いで分かりました」

「匂いで?」

「女性の匂いがしました」

匂いなどしなかったはずだ。理奈は賢い女だ。昨日の僕の態度からそれを疑って、鎌をかけているのかもしれない。でも、公認されていることだから、素直に認めることにした。

「そうか、御免なさい。理奈さんに分からないようにすると約束しましたが、分かりましたか」

「やはりそうですか。謝らなくていいんです。私が認めたことですから」

「気分を害した?」

「約束した時には平気だと思っていましたが、いざとなるとショックでした」

「同期の友達に誘われて一緒に行った。理奈さんには絶対に分からないという自信があったから」

「亮さんは私のために精一杯してくれているのに、今の私のままでは亮さんを満足させてあげられていないということが改めて分かりました」

理奈はそれ以上何も言わなかった。僕を責めたりもしなかった。黙って朝食の後片付けをしている後姿にいつもの元気がなくて、少し寂しげに見えた。

僕は「今日はいつもと同じころに帰ります」と言って出勤した。

◆ ◆ ◆
7時40分にマンションに帰ってきた。いつもより少し早い。出がけの理奈の素振りが気にかかったからだ。

部屋の明かりが点いていない! 悪い予感がする。慌てて鍵を開けて中に入った。理奈はいなかった。テーブルの上に書置きがあった。

「実家に帰ってきます。ご心配なさらないで下さい」と書かれてあった。よく読むと帰ってくるとの含みのある書き方だ。理奈らしいと思った。でもいるのに慣れてきた理奈がいない部屋は寂しい。

すぐに理奈の携帯に電話するが、電源が切られているようで繋がらない。理奈の実家へ電話した。父親が電話に出た。

「吉川亮です。夜分すみませんが、理奈さんは帰られていますか?」

「9時過ぎに家に着くと連絡がありました」

「理奈さんは何か言っていましたか?」

「いいえ、何も、何かあったのですか?」

「私が悪いのですが、気持ちの行き違いがありまして、理奈さんが気分を害されたみたいで」

「我が儘な娘で申し訳ありません」

「いえ、私の方こそ、気づかいが足りませんでした。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「帰ってきたら、よく話を聞いておきます」

「そうですね、せっかく実家へ里帰りしたのですから、ゆっくり話を聞いてあげてください。私は日曜日の朝に理奈さんを迎えに行きますから、よろしくお願いします」

父親にはその理由を話さなかった。僕から話せる訳がないが、理奈は何を話すだろう。これで別れることになるかもしれないと思うと心配になって落ち着かない。土曜日に迎えに行くことにすればよかった。

落ち着かない気持ちで土曜日1日を過ごした。

◆ ◆ ◆
(11月第2日曜日)
日曜日の朝早く金沢へ向かった。11時には理奈の実家に着いた。今回は自分の実家には黙って寄らないことにしている。理奈が里帰りしたと言えば、一緒に家にも来てほしいと言うに決まっている。

家を出る時に父親には連絡しておいた。理奈の携帯は電源が切られたままになっている。理奈の実家に着くと、父親が待っていた。理奈と母親は買い物に出ているとのことだった。

「ご心配かけて申し訳ありません。理奈さんは何と言っていましたか」

「何も言わないのです。私の我が儘だと言っていました。それから、日曜日に亮さんが迎えに来ると伝えたら嬉しそうにしていました」

「そうですか」

理奈は両親に心配をかけまいと、何も言っていないようだった。父親も痴話喧嘩と思ったようだ。そこへ、理奈と母親が帰ってきた。理奈は何もなかったように笑顔を作っていた。ほっとした。

「迎えに来ていただいてありがとうございます。母と金沢のおいしいものを買い出しに行ってきました。お昼用と夕飯用にもいろいろなお弁当を買って来ました」

それから、4人で買ってきたお弁当やお寿司をお昼ご飯に食べた。その時に父親から「亮さんは私と似ているところがあるので安心しています。どうか我が儘な娘をよろしくお願いします」と言われた。理奈はそれを微笑んで聞いていた。

2時少し前の「はくたか」に乗った。両親は心配なのか駅まで二人を見送りにきた。新幹線が動き出すとようやく理奈は僕に話しかけてきた。

「ご心配かけて申し訳ありませんでした」

「ああ、心配した。でも二人で一緒に戻れてよかった。ご両親には何も話さなかったんだね」

「心配かけたくないし、私たちの約束事を説明できるはずがありません。でも父から迎えに来てくれると聞いて嬉しかったです。わざわざ迎えに来てもらって本当にありがとうございました」

「僕を試した?」

「そんなことありません。でも意識していないけど、そうだったかもしれません」

「『神を試してはならない!』という聖書の言葉を知っている?」

「聞いたことがあります」

「僕は神ではないけれど、信じてほしい、試されると悲しくなる」

「ごめんなさい。もう2度とこういうことはしません」

理奈は僕の手を握ってくれた。こんなことは始めてだ。まあ、それで良しとしようか。