「あれ、菊池じゃあないか。お前のところにも連絡が入ったか?」
 形成外科診察室前の廊下に、関越銀行のでっぷりとした小林課長と、涼しそうな顔をしている村尾主任の姿があった。小林は、額から大粒の汗を流していた。
 菊池は、瞬間どう説明すればよいか判断できなかった。自分は今、母親の看護に病院に詰めていることになっている。菊池が黙っていると小林が続けた。
「今朝、外務省からうちの銀行に連絡が入った。山岸君がカンボジアで重症を負い緊急帰国し、文教大学附属病院に入院しているとね。それで急いで村尾君と駆け付けたところだ。菊池も外務省からの連絡かい?」
 菊池は、シラを切りとおすことにした。
「そうです。私が母の許に行こうとし、ホテルを出ようとしたときに外務省から連絡がありました。それで、こちらに急行したんです」
 小林の細い目が光った。
「それはおかしいなあ。外務省の方は確かに山岸君と一緒にお前も帰国したと言っていたがなあ」
「それは何かの間違いではないですか。ここ数日は母の見舞いにホテルと病院の往復ですよ」
 すると、これまで隣で黙ってやり取りを聞いていた村尾が言った。
「係長。だいぶ日に焼けていますが、炎天下で活動されていたんですか?」
 菊池は狼狽した。黙って俯いた。すると小林が語気を強め詰問した。
「お前、母親が脳梗塞で倒れたというのは嘘だろう。有給と夏休みを利用して山岸君に会いに行っていたんだな。それでそんなに顔が日焼けしている」
 菊池は、俯きながら自白した。
「申し訳ありませんでした。確かに私はカンボジアに彼女に会いに行っていました」
 小林は、ふん、と鼻を鳴らした。
「そうだろうと思った。外務省からの連絡で、お前も山岸さんに同行して帰国したと聞いたものだから、お前の実家に電話してみたよ。するとお袋さんは元気そうだった」
 菊池は恐る恐る小林に訊いた。
「私は、何らかの懲戒処分が下るんでしょうか?」
 小林は滴り落ちる汗を手で拭い答えた。
「まあ、有給や夏休みはどのような目的で取得しても、銀行側としては文句は言えない。これが病気休暇とかだったら別だがな。だから特に懲戒処分とかはない。明日は月曜日だ。取得予定の夏休みは返上して出勤しろ」