死にたい君に夏の春を

死ぬ前父さんに、誰にも事実を伝えないで欲しいと母さんは言った。


もちろん、絶縁中の父親にも事実は言わなかった。


「お前がいない間、母さんのお義父さまに呼ばれて会いに行ったんだ。もう永くはないらしく、その時真実を伝えたんだ。最期にお前に、『悪かった』って言ってたよ」


悪かった。


ほんと、そうだよ。


その勘違いで僕がどれだけ苦しんだことか。


「今まで本当のことを言えなくて済まなかった。知らない間に、苦しい思いをさせてしまったな」


母さんは、他の人と寝てなんかいなかった。


それが聞けただけで、いい。


父さんは言った。


父さんと母さんの間に、愛はなかったって。


だから僕は全く愛のない環境で育ち、人に対して無関心になった。


「でも母さんと俺は、お前のことは好きだったよ。ただそれを上手く表現出来なかっただけなんだ」


僕はそっと目を閉じ、深い溜息を吐いた。


そして。


「今更だよ……」


聞こえないように、そう言った。


「あの女の子を見て、母さんと重なったんだ。だから、もし危険なことに足を突っ込んでいるのなら正直に話して欲しい」


話して、いいのだろうか。


そもそも、何を話せばいいのか。


色んなことがありすぎて、わからなくなる。


「話すことなんて何も無い」


たとえ重要な事件であっても、僕は栞を守る。


「そうか……」


きっと、こういうところが親に似てくるのだろう。


父さんも、こうやって母さんを守った。


ただ、やり方が間違っていただけなんだ。


僕だけが、彼女を救える。


そう思っていた。



だが、栞がこの部屋に来ることは1度もなかった。