あなたの名前は忘れたけれど。

彼の顔を見なくて済んだ。

どうやって答えようか、どうやって断ろうか、そんなことを考える彼の顔を見なくてよかった。


「…ごめん、今日は帰るわ」


脱ぎかけた靴を履き直し、私の方を一度も見ずに、彼は扉に手をかけて外へ出てゆく。


「…うん、またね」


パタンと閉まる扉。

明らかに、今までとは違う音。

彼の心の扉が閉まる音。


私は崩れる。

濡れる頬はそのままに。


これでよかったのかもしれない。


私たちの関係はあまりにも曖昧すぎて、あまりにも不透明すぎて。