病院に入って、凛の病室までの道はもう慣れた。
 凛の病室の前に立つ。少し緊張する。これももう慣れた。
 ゆっくりとドアを開けると、凛がこちらを向く。
 そして。

 「有! 待ってた!」

 そう、満面の笑顔で僕を迎える。
 そんな笑顔に、僕は「おまたせ」と返し、ベッドの前の椅子に座る。

 「あのね、有、今日はね」
 「ごめん、凛。今日はさ、僕の話、聞いてもらってもいい?」
 「え? 珍しいね、いいよ。話して話して!」

 僕は、ゆっくりと、大きく、深呼吸をした。そして、考えていた『文章』を口にする。

 「今日はさ、『ヒマワリ』を見たんだ」
 「『ヒマワリ』……?」
 凛が、首を傾げる。
 僕は、自分の頭の中で、昨晩見た紙を思い出す。
 「そう、真ん中が茶色くて、黄色い花。『虫』とかも寄ってくるんだけど」
 「えー! 『虫』ー?! やだー!」
 「そんなの見ながら、今日は学校で『勉強』してきてさ」
 「『勉強』かー嫌だねー」
 「教室で、『海』行って、『パフェ』食べにいこうか、って話してるやつもいたりしてさ」
 「……えっと、『ウミ』? 『パフェ』って?」

 そんな凛の言葉に、僕はギュッと、拳を握る。

 「『寿司』もいいね、なんて言っててさ」
 「『スシ』……?」
 「……そんなの聞いて、『ネギ』と『ピーマン』食いてえな、なんて思ってさ」

 ──思うか、そんなこと。

 「『パフェ』も『スシ』もわかんないけど、それに『ネギ』と『ピーマン』ってどうなの?! 絶対不味いよ!」
 「……昨日は、『暗いところ』で『ゴキブリ』出てさ。病院でも出たりすんの?」
 「う、うーん、どうだろ……。私はまだ見た事ないかな」
 「……退院したらさ、『運動』、しにいこうか」
 「『運動』かあ〜、うーん……」
 僕は、握った拳を、ゆっくりと緩める。
 「……そっか」
 「え?! 有、何が『そっか』なの?!」
 「いや、こっちの話。ごめん、僕もう帰るよ」

 ──もう、耐えられそうにない。そう思った。

 僕は、立ち上がり、凛に顔を見せないよう、すぐ背中を見せた。

 「ええっ。なんで? 今日まだ、十五分も話してないよ?」
 「ごめん。本当にごめん。明日は朝来るから」
 「……うん、じゃあ、また明日!」

 そう笑う凛に、僕は「……また、明日」と、歯切れ悪く返した。

 僕は早足で病室を出て、ドアを閉める。そして、そのままドアに寄りかかりながらしゃがむ。

 「……っ」

 目頭が熱くなるのを感じながら、僕はグッと堪える。
 足に力を入れ、ふらふらとしながら、病院を出た。