「へー、すごいな。弾いてみて」
 

カバンを置きながら俺が答えると、向日葵は、おもちゃを自慢する子供のように、意気揚々とした態度で、ピアノに手を置いた。
 

俺は、ピアノの横にある椅子に座って、向日葵の細く弱々しい、でもピアノに慣れつくした指を見つめる。


はっきり言って、心の中では、向日葵はこの曲は弾けないだろうと思っていた。
 

向日葵の事は尊敬しているし、素晴らしいピアニストだと思う。


しかし、普通のピアニストでも、難易度の高いこの曲を、音だけでマスターするのは、不可能に等しい。
 

向日葵が、一瞬にして笑顔を消した。いつも楽しそうにピアノを弾くのに、と少し驚く。
 

演奏がスタートした。
 




「…マジか」
 

声を漏らす。口に手を当てて、向日葵の指を、身を乗り出して見入る
 

苦戦してたのが嘘のように、向日葵はすらすらと序盤の部分を弾いていく。
 

一つ一つが重いはずの鍵盤を、向日葵はまるで電子ピアノで弾いてるかのように、軽々しいタッチで、正確に音を押していく。
 

ありえない…。目が見えないはずなのに、音だけを頼りに、ここまで難易度の高い曲を完成させるとは…。
 

向日葵の顔を見つめた。ここまで真剣な表情でピアノを弾く向日葵は、初めてだ。
 

違う。もう、目が見えてるか、見えていないか、という次元の話ではない。

目が見えるプロのピアニストも、この曲はそうそう簡単に弾けるはずはないのに。