月は紅、空は紫

「どけっ! どいてくれ!!」

 戸板を担ぐ一団の先頭に立つ男が、長屋の井戸で水浴びを終えて自分の部屋に戻ろうとしていた清空に向かって叫んだ。
 騒ぎの声は清空の耳に届いてはいたのだが、『まさか、自分と関わりになることは無かろう』と思い、暢気に井戸から狭い長屋の通りに出たのである。

 一方、戸板を担いでいたのは但馬屋の主人、彦一と但馬屋の番頭である与平である。
 但馬屋より、当時は一番近い診療所に向かう為には、この『あばら長屋』を抜けて行くのが近道になる。
 その為に戸板には苦しむ小夏を乗せて、前後を二人で持った上に傍らには小夏の母である桔梗と姉のお民が小夏を励ましている、という一団で京の町中を走っていたのだ。

 そんな事情を清空が知る由も無く、実に無警戒に路地へと出た清空と、周囲に気を使う余裕もない一団は――あえなく路地にて衝突事故を起こしてしまったのである。

 人が二人も通れば窮々となってしまう程に狭い路地である。
 清空と一団は、ほぼ正面衝突のような形で互いにぶつかった。