月は紅、空は紫

「――もし、そこの御方」

 清空が玄関より道場に向かい、歩を二、三歩進めたところで。
 いきなり呼び掛けてくる声があった。
 人の気配は感じていなかった――それが理由で、道場へと足を向けたのだ。
 門より玄関の周囲を見渡した時点でも、清空の眼は人影を捉えてはいなかったのだ。
 それにも関わらず――背後からの声である。
 清空の驚きは、まるで喉から心臓が飛び出るのではないかと思うほどである。

 そっと後ろを振り返ると、そこに立っていたのは中年をやや過ぎたような風貌の男である。
 藍染めの袴を着て、少し白髪の混じった髪を総髪に束ねている。
 表情は厳しく引き締まってはいるのだが、鋭い眼光の中に敵意のようなものは見当たらない。
 ただ、張り詰めたような気の中に、一人の男が凛とした佇まいでその場に立っている――清空はひと目でそのような印象を受けた。

――この人が……古藤道場の主だ、と。

 京の町の中にあり、喧騒が絶えないはずの場所で。
 清空と男の間に静かな沈黙が流れた。