御役所を訪れた翌日、清空は準備を整えてから嵐山にある仁科剣術道場に赴いた。
 幸い、その夜の月は紅い色に変化していなかった事もあり、清空は二日ぶりとなる睡眠を夜の間にたっぷりと満喫できていた。

 浪人風の服を持ち合わせていない清空に、中村の部下である小野田から服を借りて、普段は総髪で束ねている髪を解いて、鬢付け油のみを髪に塗ったくっている。
 普段より清空を知っている人間ならば『清さん、どうしたの?』と聞かれてしまいそうな格好ではあるが、知らぬ人間であれば剣客修行をしているような人間に見えることであろう。

 泰平の時代とは呼ばれる江戸時代ではあるが、武家社会であり尚武――つまりは武芸を修めることは奨励されていた時代であり、多くの剣客が存在していた。
 江戸時代の剣客といえば、宮本武蔵に伊藤一刀斎、『鍵屋の辻』で知られる荒木又右衛門など枚挙に暇が無い。

 それらの剣豪たちは、殆どが諸国を旅して、各地で腕前を披露していくことによって名を馳せていったのである。
 浪人者として剣の腕を上げて、仕官の声が掛かるのを待つ――それこそが立身出世への道であったのだ。

 なので、清空がこれから名乗ろうとしている『諸国を旅している剣客』というものも決して珍しい存在では無い。
 かつて、少年時代を過ごした国で受けた印可認状を携えて――清空は仁科道場の門を叩いたのである。