『さ』?
喜代美は口元を手で覆い、視線をさまよわせる。その顔は真っ赤だ。
そのとき私の頭に、ある娘の名が浮かんだ。
(―――ああ。『さなえ』さんか)
喜代美と親しい娘と言ったら、彼女しか思い浮かばない。
あれから喜代美は度たび実家に帰っているから、そのあいだに彼女とも会っているはず。
それは聞かずとも裁縫所で早苗さんが事細かに語ってくれるから、ふたりの仲睦まじさが嫌でも耳に入る。
もう私なんかが仲介役にならなくとも、ふたりは心を通い合わせているのかもしれない。
けれど私の想像する未来の喜代美の傍らに、彼女の姿を思い浮かべただけで、いっきに気持ちがしらけてしまった。
いま目の前で頬を赤らめうつむく喜代美は、彼女との未来を思い描いたのだろうか。
そう思うと、なんだか無性におもしろくない。
「……どうかしら。私は早苗さんじゃあ、あんたと一緒に子どもに振り回されるだけだと思うわ」
心底 そう思う。
彼女はいつも浮わついているし、万事にどっしり構えられるような度量も見受けられない。
およそ私の理想とする、家のすべてをてきぱき切り盛りする凛とした武家の妻女には程遠い。
あの子がこの津川家の嫁に入るとなると私の晩年が思いやられるし、ふたりの仲睦まじい姿なんて見たくもない。
「え……」
私の言葉に、喜代美がつと顔をあげる。
向けられた彼の視線は、困ったような傷ついたような、彼女に対しての否定的評価をたしなめるもの。
「……姉上は誤解されてます。早苗どのはそんな方ではございません。
彼女のご両親は教育にも躾にもとても厳しい方がたです。
彼女もそれによく応え、教養もたしなみもしっかりと身につけています。
私は、明るくていい子だと思いますよ」
「そうね。あんたが言うのならそうなんでしょう。
たしなみがないのは、どうやら私のほうね」
刺々しく言い捨てて、困ったように微笑む喜代美を一瞥してから中庭をあとにする。
分かってる。誰だって嫌よね。
好きな人の事を悪く言われたら。
分かってはいるけれど、早苗さんの肩を持つ喜代美に、なぜか無性に腹が立っていた。
.

