こんな人もいるんだ。そう思うと少しホッとした。
彼からもらったホット紅茶を飲むと、心がほんのり温まった。
「―――あれ?」
湖を見ていた彼が何かに気がつくと、あわててリュックの中から双眼鏡を取り出した。
ポカンとその様子を見守っていると、湖に向けて双眼鏡で確認してから、興奮したように私に言う。
「あっ、あそこ!あそこの白鳥が見えますか?」
「は?えっ、どこ」
彼が指差す方向へ目を凝らす。群れの奥の少し離れたところで2羽の白鳥が向かいあってしきりに鳴き交わしている。
「えっ、何?ケンカ?」
「いいえ、違います。これでよく見てください」
彼が双眼鏡を差し出してくる。素直にそれを受け取り覗いてみた。
「ほら、そこですよ」
何とか双眼鏡で対象を見つけて観察すると、向かいあった2羽の白鳥は、互いに鳴き交わしながら胸と嘴の先をくっつけている。まるでキスしてるみたい。
しかもちょうど角度がよかったのか、くっついた2羽の白鳥のあいだに綺麗なハート型が作られている。
「えっ?何あれっ!超かわいい〜!」
「でしょう?ハッピーリングって言うんですよ」
「へえ、そうなんだ!ハッピー、……!」
思わず女子らしいキャピ声をあげて喜ぶと、彼の声がすぐ耳元で聞こえて横を振り向いた。
いつの間に身体を寄せていたのか、すぐそばに彼の端正な横顔があって、驚いて心臓が飛び跳ねる。
そんなことも気づかずに、2羽の白鳥を見つめたまま、彼は興奮を抑えた声で言った。
「白鳥は恋の時期になると、ペアでもああして嘴を触れ合わせて求愛行動をとり、お互いの絆を確かめ合うんです。
ですがここで見れることはほとんどありません。季節的にはもう少し先で、ここからシベリアに渡る途中の北海道あたりで見られる光景ですから。僕もここで見るのは初めてです」
「へえ……」
「新しいカップルの誕生でしょうか」
彼は嬉しそうに笑う。
2羽の白鳥はしきりに嘴をこすり合わせ、おでこをくっつける。愛情あふれる様子が伝わってきて、うらやましくも微笑ましい。
「これからはずっと行動を共にして、海を渡り、家族を作ってまたこの地を訪れてくれるでしょう」
彼の声が近い。息がかかりそうなほど近い。
もっと白鳥を見ていたいのに、意識がとなりの彼に向いていて集中できない。
ドキン、ドキン、ドキン。静まれ、心臓。
「どうかしましたか?」
「あっ、あのさ。……ち、近いんだけど」
「え?……あっ、ああ、すみません!つい!」
彼は気づくと顔を赤らめて、もとのひとり分座れる間隔を空けて席をずらした。
離れてくれたから、少し落ち着いて白鳥を観察できる。けれど再び双眼鏡を覗いてもさっきの光景は見れなかった。
先ほどの2羽は群れの中に戻り、もうどの白鳥だったか見分けがつかなくなった。
(ああ、残念……)
そう思いながらも、湖の白鳥に視線を送りつつ、彼のほうばかり気になってる。胸が騒いでしかたない。
「ハッピーリングを見た人は幸せになれると言われているんです。ですからきっとあなたも、これから幸せになれますよ。学校のほうもきっとうまくいきます」
……本当だろうか。そんな気はまったくしないけど。
「こんな私でも、幸せになれると思う?」
「なれますよ、必ず。信じてください」
何の根拠があって断言できるんだろう。
理由を探るように彼の優しい瞳を見つめると、なんの屈托もない無邪気な笑みで返してくる。
………なんでだろう。不思議。
彼の言葉と笑顔には、素直に頷きたくなる力がある。
説得力があるからだろうか?――――いいえ。
私が彼の言葉を信じたいと願うのだ。
(幸せになれるのかな。だったら私も、白鳥のこと、もっと調べてみようかな……)
「あの、それでですね。よかったら、あの、これからも……その」
もごもごと口籠る彼の言葉がよく聞こえなくて、そのまま湖の白鳥へもう一度視線を送っていたら、「あっ」と 声がもれた。
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