この空を羽ばたく鳥のように。

 



「……なんでそんなに、白鳥が好きなの」



不思議に思い訊ねると、彼は一度こちらに流した視線を再び湖へ向けた。

私もつられて湖を見る。水面には、数羽の白鳥と大量のカモが気持ちよさそうに浮かんでいる。



「道を見失いそうになった時、白鳥を眺めていると、自分の向かうべきところが分かる気がするんです」


「向かうべきところ……?」



白鳥を見つめながら、先ほどの笑みを消した寂しげな横顔に、「こんな顔もするんだ」と なぜか胸がちくりと痛む。



「自分の求めるものが何なのか、自分は何を為すべきなのか。それがあるように思えてならないのに、よく分からないんです」


「それ……」





それは、私も抱いている思い。



誰かを探しているのに。
探し求める誰かがいるはずなのに。



それが漠然としていて、手を伸ばしても掴み取れないもどかしさ。





「渡り鳥はね、飛び立つ前から向かうべき場所がちゃんと分かっているんです。
そしてその方角を、けして見失わない。目印の何もない、大海原を飛ぶ時も。

僕も、心の向かうべき先を見失いたくない」





そう言って白鳥を見つめる彼の横顔から、目が離せなくなる。





(心の向かうべき先……私の心の向かうべき先は……)





彼が再びこちらに顔を向けたとき、寂しそうな表情は消えて穏やかな微笑が戻っていた。



見つめられると、言い表せない思いが身体を満たしてゆく。



訳もわからないまま、しばらく私達は見つめあった。



なんでだろう。心が彼に引き寄せられる。その瞳に吸い込まれてしまいそう。けれど。
言い知れない不安を覚え、無理やり視線を背けた。



(信じない。誰も信じない。信じて、また裏切られるのが怖い)



ぎゅっと、膝の上に置いた拳を握りしめる。うつむいて黙り込んでいると、声音を落として彼が訊いた。



「……白鳥を見ているあなたは、いつもそんな顔をしていましたね。心を閉ざしているような、それでいて何かを求めているような」


「………」


「制服を着ているのに学校へ行かない理由も、そこにあるんですか」



顔をあげて彼を見つめる。穏やかな微笑みは変わらぬまま。



「僕でよかったら、話して下さい。少しは気分が晴れるかもしれません」


「………」



いいのだろうか。こんな初対面の人に。何も知らない人なのに。――――いいえ、違う。


私の心のどこかで、“この人なら大丈夫”って声がする。



「……中学のとき、いじめにあって、学校に行けなくなった」



知らないあいだにSNSでいろいろと悪口を書かれて、学校で孤立して、信じてた友達にも裏切られた。

学校にも行けなくなったけど、高校は誰も私を知らないところへ行こうと、遠くの高校を受験した。

合格して心機一転、新しい生活をと思ったけど、人との接し方を忘れてしまった自分は、どうコミュニケーションを取ったらいいか分からなくて、結局高校でも友達を作れなかった。

親に心配かけたくないから学校へは行くけど、居場所がなくてすぐに早退してしまう。そんな私をいつものことだと、気にする人もいない。



「気にして声をかけてくるのは、制服姿につられた下心丸出しのサイテーな奴だけよ。さっきの大学生もそう。あんただってそうじゃないの」



心の奥底に溜め込んだ苛立ちをいっきに吐露(とろ)すると、少しだけすっきりした。

彼のほうはといえば、怒りにまかせて最後に吐いた毒に「なるほど、その通りですね」って 頷いてる。


……なんか、拍子抜けした。

てっきり「自分はそんなつもりじゃない!」って、憤慨すると思ったのに。



「……怒んないの?」

「うん、まあ、そうですね。そう思われても仕方ありませんから」



彼は怒るでもなく、困ったようにうなじを掻きながら言う。



(……変な人)



すうっと怒りが引いていく。行き場のない苛立ちを、すべて吐き出してしまったからだろうか。
それとも、彼が黙って受け止めてくれるから……?



「信じるのも、信じてもらうのも、勇気が要りますし難しいですよね。
初対面で相手のすべてが分かるはずないんですから。
大切なのは、相手を理解したいと思う気持ちじゃないですか」



そう言って、私に向ける彼のまなざしは、初めからずっと優しいまま。

どうしてこの人は、こんなに優しい目で私を見るんだろう。

―――――ううん、違う。

きっとこの人は、すべてのものに優しい目を向けてるんだ。


湖に視線を向けて白鳥を見つめる彼のまなざしが、私に向けてるものと同じだと気づいて、そう考える。



(信じる、勇気……)



この人は違うのかもしれない。

今まで私に声をかけてきたのは、平日に制服姿でうろついてるのを学校に行かない素行の悪い子なんだと決めつけて、悪事に誘おうとする奴らばかりだった。

学校に行けない理由を聞いてくれたのは、この人だけだった。



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