私が黙ったせいで、しばし重い沈黙が漂う。
けれどそれを打ち破ったのは、彼のほうだった。
「……なら、これから好きになればいい。白鳥のことをもっと知れば、きっとあなたも好きになります」
静かに言って、優しいまなざしで見つめてくる。
思わず、ぽかんとした。
(なにこの人……頭おかしいんじゃない?)
なんで私が白鳥を好きにならなきゃなんないの。
そう訝しく思いながらも、その声と笑顔が心地よく思えるのはなぜだろう。
不思議に思う私に、彼は親しみを込めた笑顔で明るく言った。
「大丈夫、僕がレクチャーします。えっと……お名前は」
なんだろう……この人。
この人は、私の心の中の何かを震わせる。
「……さより」
いつの間に警戒心が薄れてしまったのか、不思議と自分の名を正直に口にしてしまってハッとする。
すると彼は納得したように声をあげた。
「……ああ、なるほど!それで!」
「?」
「だから海が見たいって言ったんですね!海にはあなたと同じ名の魚がいますものね!」
(……はあ?)
彼は破顔して満足そうに何度も頷く。そして頭の中でいろいろと考えてるらしく、
「ああでも、今の時季はどうかな。サヨリは秋から春まで獲れるというから、もしかしたら見ることが出来るかもしれませんね」
そんなことをひとり言ってるから、こっちも反撃に出てやった。
「……あんた、彼女いないでしょ」
眉をひそめてぼそりとつぶやくと、彼は素直に驚いて聞いてくる。
「えっ、すごい。どうして分かるんですか」
「甘く見ないでって言ったでしょ。あんた、そんな話ばかりしてると、女の子にドン引きされるわよ」
誰が魚を見たいから海へ行きたいなんて言ったよ。
それに、どこに「魚と同じ名前ですね」なんて言われて喜ぶ女子がいるってのよ。
「あ……そうか。なるほど。そうですよね、すみません」
こいつ謝ってばかりだな、なんて思う私のとなりで、彼は困ったようにうなじを掻いた。
正直、もったいないと思う。見てくれはこんなにイケメンなのに。
痩せ型だし背も高いし、服装もシンプルだけど黒でまとめてスッキリして好感持てるし。
それになんと言ってもこんな年下の生意気な女子高生にさえ、軽く見ることなく紳士的に接するこの態度。
まさに理想のオトナって感じ。
……なのに、その唇から紡ぎ出されるのは、白鳥や魚の話とは。
麗しい容姿に思わずときめいちゃった女の子だって、会話したとたんにゲンメツだよ。
「けれど」と、恥ずかしそうに彼は言う。
「生意気を言うようですけど、こんな僕ですが、ありがたいことに女性から声をかけてもらうこともあるんです。ですが……いつも何だか違う気がして。
とくに彼女が欲しいとか考えてないんです。
誰でもいいから付き合うのではなく、自分が求める女性に出逢えたら、その人とともに歩いてゆきたい」
「あ、そ」
他の女には目もくれず、理想の相手だけを追い求めるってのね。
こいつ、初対面の私になに恋愛論語ってくれてんの。
そんなの私には関係ないじゃん、と冷ややかに思っていると、彼はいきなり話題を変えた。
「知っていますか?『おしどり夫婦』と例えられるオシドリは、毎年ペアを変えるって」
「はあ……?んなこと知るわけないでしょ」
また鳥の話⁉︎ と、イラつく話題に声を荒らげても、彼は気分を損ねることなく話し続ける。
「けれど白鳥はペアになった相手と一生連れ添うんです。家族思いで、両親はヒナを守ろうとする思いがとても強い」
「あっそう!」
「ここへ飛来する白鳥はシベリアで繁殖し、そしてヒナたちが生後3ヶ月で飛べるようになると、家族で群れを作り、はるか4,000km先の日本へ向けて飛び立ちます。そうして僕たちに姿を見せてくれるんです」
この人、白鳥の話題には、目をキラキラさせて話すのね。
「……ふぅん。やたら詳しいのね。あんた本当は、人間じゃなくて白鳥に生まれたかったんじゃないの?」
冗談半分でつぶやいたのに、彼は湖に視線を向けて感慨深げに頷いた。
「……そうですね。きっとそうなんでしょう」
彼の瞳に、一瞬、寂しさが見えた気がした。
※訝しい……不審に思うさま。疑わしい。
※破顔……顔をほころばせること。笑うこと。
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