その日は空が澄み渡り、朝から寒気がきつかった。
けれども日中は陽が差して、これから暖かくなると思われた。
母上のこともあり、医者には診てもらったが、薬は高く、とても飲み続けることはできなかった。食べても吐いてしまうから滋養もつけられない。
それでも何かできることはないかと、みどり姉さまはつきっきりで私の看病をしてくれた。
「ほら、さより。少し白湯でも飲みましょう」
みどり姉さまは私の上体をわずかに起こして、カサカサに乾いた唇を湿らすように白湯を少し含ませた。
ゴクンと小さく喉を鳴らし、微かに微笑む。
「ありがとう……みどり姉さま。とてもおいしいわ」
みどり姉さまは目を細めてうなずくと、静かに私を寝かせた。一度に多くを飲ませると、とたんに吐いてしまう。少しずつ、少しずつ。姉さまは根気よく白湯や重湯を含ませ続けてくれた。
そんな献身的な看病に感謝しながら、みどり姉さまにずっと気がかりだったことを訊ねる。
「……ねえ、みどり姉さま。姉さまはご自分の幸せをお考えにならないのですか?」
「何を申すの。お前が元気になってくれたら、それだけで私は幸せよ。だから私のためにも早く元気になるのよ」
ふふっと笑みをこぼし、みどり姉さまは私の身体が冷えないよう、丁寧に掻巻で包み込む。
「そうではなくて……九八のことです」
九八の名を出すと、みどり姉さまは笑みを消した。
彼の想いは家族全員が知ってる。いつもおどけている九八が、時どきとてもひたむきな目でみどり姉さまを見つめているのも。
姉さまもそれを充分に知っていて、そして想いを寄せられていることを嫌がっている様子もない。
「一緒になろうとは思わないのですか」
みどり姉さまは困ったように笑った。
考えるように黙し、しばらくして口を開いた。
「九八といると、とても楽しいわ。優しいし、いつも私のことを守ろうとしてくれる。
そばにいるとね、自分はまだ女でいられるって感じるの。いくつになっても、そういう対象で求められるのは、なんだかんだ言っても嬉しいものね」
「でしたらなぜ、受け入れようとなさらないのですか。身分の違いですか。それとも亡き兄上を慮ってのことですか」
みどり姉さまは目を伏せた。長いまつげが影を帯びる。みどり姉さまの婿であった数馬兄上が亡くなられてから、他の人に縁付くことを頑なに拒み、ずっと兄上への貞操を守ってきた。
自らが課したその縛りを、解き放つ勇気が持てないのだろうか。
「数馬さまのことは今でも忘れられないわ。けれど、だから受け入れられないということでもないの。
もちろん身分の差も、今となってはそんな大したことじゃない」
「だったら……」
「私は今のままがいい。形にこだわらなくていいの。一緒になったとて、私はとうに三十路を超えてるし、子供だって望める身体でもない。
こんな年増女と所帯を持っても、良いことなんて何もないわ。それに今だって、私達はもう家族よ」
「でも、九八はきっと……そんなふうに思ってない」
九八は源太の生き方を尊敬している。だからこそみどり姉さまを娶りたい気持ちを抑え込んで、一歩下がった立場を弁えている。
もしかしたら九八もみどり姉さまと同じように、今のまま、そばにいるだけでいいと望んでいるのかもしれない。
それでもそんなふたりの関係が、幸せだとは思えない。
分かってる。幸せの形は、人それぞれ。
だから心の底からふたりがそう望んでいるのならば、その先は私が決めることじゃない。
けれど。
「私はみどり姉さまにも、九八にも幸せになってもらいたい。だって、ふたりとも大好きなんだもの。
それに心安らげる人と触れ合える時間は、いつまでもある訳じゃないもの。みどり姉さまが心からそれを望むのなら、九八の胸に飛び込んでいいと思う」
「さより……」
みどり姉さまは目を瞠った。そしてふっと微笑したかと思うと、私の鼻をギュッとつまんだ。
「……んんっ?みどり姉しゃま⁉︎ 」
「まったく生意気ね。私のほうが年上なのよ?好きな人と触れ合える時間に限りがあることくらい、身をもって知ってるわ。お前より経験も知識も豊富にあるのよ。馬鹿にしないで」
「も、申し訳ごじゃいましぇん……」
フガフガと謝ると、鼻から手を離してみどり姉さまは愉快そうに笑った。
「けれど……そうね。わかったわ。さよりの言う通り自分の心の正直なところを、もう一度考えてみる」
「まことですか?よかった……!」
嬉しくなる。本当にふたりには、幸せになってもらいたい。お互いを求め合っているなら、なおさら。
(どうかふたりが、うまくいきますように)
そう祈りながら、機嫌よく笑う私に、みどり姉さまが訊ねてきた。
「ねえ、さより。さよりこそ、幸せなの……?」
※白湯……沸かしただけで何も入れない湯。
※重湯……水分を多くして炊いた粥の上澄みの液。病人•幼児などに食べさせる。
※掻巻……袖のついた着物状の寝具。防寒着のこと。
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