この空を羽ばたく鳥のように。




 となりの部屋に移り、布団の上に座ると、私も座らせてから男が言った。



 「お前さんは本当に笑わないね。初めて会った時からそうだ。私はお前さんの笑った顔が見たいのに」

 「……申し訳ございません」

 「つらいことが多すぎて笑えないのかい。会津の女子(おなご)は皆そうなのかね。私の仲間が会津の女子を妾にしたが、まるで白刃を抱いているかのように冷たく感じたそうだよ」



 握った手を引き寄せ、男が私を抱きしめる。



 「お前さんもそうかな」

 「……分かりません。そうかもしれません」



 言いながら腕の中から逃れようとする。けれども非力ゆえに抗うこともできず、あっけなく布団の上に押し倒された。男がすぐさま馬乗りになる。



 「あいつは馬鹿だな。白刃を抱くように冷たく感じたならば、身も心も熱くなるほど愛してやればいい。
 その(ふところ)の深さがなかっただけのことだ」



 会津女を妾にした仲間に対して、男はそんなふうに(うそぶ)く。

 抵抗をやめて、(うつ)ろな瞳で男を見つめた。そんな私の頬に手を添えると、男は優しく語りかける。



 「怖がらなくていいよ。私は不義理はしない。お前さんの家族の面倒もみると約束しよう。だから安心して心を開いておくれ。そして私に笑顔を見せておくれ」


 (笑顔……)



 笑顔と聞いて、喜代美の顔が思い浮かぶ。



 『いつも笑顔を絶やさずにいてください。そしてどんなときも、希望を見失わないでいてください』



 いつか伝えてくれた喜代美の言葉が、ひどく遠くに感じて目を閉じた。

 何もかも失ったあの日から、笑顔も希望も断たれた。私はもう、笑えない。

 悲しみが心を暗く覆った。



 「どれ、戦の傷痕も見せてもらおうか。私が慰めてやろう」



 言いながら、男が私の頬に触れていた手を着物の胸元にすべり込ませる。と、首から下げていた巾着の紐が指に絡まり、男は首を傾げた。



 「これは何だい?」



 胸元から引っ張り出された巾着を見て、ハッとして手を伸ばす。



 「これは……大切なものです」

 「そうか。誰かの形見かい?」



 巾着についた赤黒い染みを見て男が言う。答えたくなくて、隠すように両手で包み込んだ。男は察したのか薄く笑った。



 「大切なものなら(はず)さなくていいよ。だが、これからのことを見られたくないなら、布団の隅に隠しておくといい」


 (………!)



 巾着をどうしようか考えあぐねる私を待つつもりはないらしく、男は私の帯を緩めると、着物の襟を押し広げて胸をさらけ出そうとする。



 「ま、待って……!」



 ビクリと震えたのは、男の唇が首筋に吸いついたからじゃない。それと同時に、私にまたがった男の背後で、大きな音を立てて(ふすま)が開け放たれたからだ。



 「な……っ、誰だい⁉︎ 不粋だろう!」



 男が怒りをあらわにして振り返ったまま、青ざめて固まった。襖の向こうの廊下には、刀を手にした野良着姿の三人の男が、鬼の形相で立っていた。
 男達は三人とも痩せ細っていたが、目をギラつかせて触れたら斬られてしまいそうな、剣呑な気魄を放っていた。



 「さよりお嬢さま!ご無事でやすかい⁉︎ 」

 「九八……?」



 聞き慣れた声に驚いて、上体を起こしながらはだけた胸元を隠す。三人の真ん中で仁王立ちしていた主水(もんど)叔父さまが、ものすごい顔でこちらに歩み寄ると、片膝をつき刀を置いた。

 何をされるかと腰を抜かして怯える男に目もくれず、今さっき隠した私の胸元を乱暴に掴んだかと思うと、ものすごい力で頬を張り飛ばされた。



 「()れ者が……‼︎ 武家の誇りを忘れたか‼︎ 」

 「旦那さま!いけねえ!」



 あまりのことに九八が仰天し、あわてて駆け寄り私を助け起こす。脳が揺れて、一瞬気が遠のいた。はずみで口の中を切ったようだ。鉄くさい味が広がる。



 「……も、申し訳……ござい……ま……」



 意識が朦朧とする。お詫びしようと開けた口から、血がこぼれて顎を伝った。布団や着物を汚さぬよう、九八が懐から出した手拭いですばやく拭いとる。

 何事かとまわりの客が(のぞ)きに来るなか、それまで廊下から動かずにいた金吾さまが、部屋に踏み入ると、男を()めつけ問い(ただ)した。



 「(にし)が廻船問屋の放蕩息子か」



 問われて、急ぎ姿勢を正すと男は手をつかえる。



 「さっ、さようでございます!近江屋の清吉と申します!」

 「我われはこの娘の縁者だ。汝に訊く。いつからこのような関係になった」



 低く訊ねながら金吾さまの目に殺気が宿る。ことさら見せつけるように刀の持ち手を右から左に変えた。

 返答次第では斬られると思ったのか、「ヒッ」と男は短い悲鳴をあげ、あわててとんでもないと目の前で両手を振った。



 「かっ、関係など!まだでございます!今宵ようやく色好(いろよ)い返事をもらったばかりで……!」

 「ほお、色好い返事か。では汝は、これからこの娘に妾奉公をさせるつもりであったか」

 「そ、それは……」

 「清吉と申したな。今日を限りに娘のことは忘れよ。汝如(にしごと)きが手に入れていい者ではないのだ」



 金吾さまはあくまで穏和に、けれども刀をチラつかせながら武士の威圧感をたっぷり含ませておっしゃる。
 主水叔父さまが立てていた膝をしまって姿勢を正し、男に向き直って金吾さまの言葉を継いだ。



 「この店の勤めも今宵最後だ。女将とも話はついている。汝には世話になった手前申し訳ないが、今度のことは運が悪かったとあきらめてくれ」



 一方的に伝えると、呆然とする男を尻目に、主水叔父さまは「戻るぞ」とふたりを促し、意識のおぼつかない私を九八に背負わせて、そのまま店を後にした。


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