この空を羽ばたく鳥のように。




 斗南へ行く船便の出帆が六月十九日と決まり、待機している婦女子は、乗船する際の注意事項を伝達された。

 乗船するにあたっては、前夜八ツ時(午前2時)に支度をし、朝七ツ時(午前4時)に下宿寺から出発する。
 未明には川口番所のあたりに集合し、(はしけ)一艘に二十四、五人ずつ乗り本船へ移ること。
 ただし病人は下宿前の堀から小舟に乗せ、本船に向かうことを許す。

 荷物はすべて前日に積み込んで、当日は持ち込み禁止とする。船中の食事は餅とパンを支給する等など。
 各組ごとにわずかながら移住手当も支給された。


 斗南領まで運航する船はアメリカ商船のヤンシー号という蒸気船だった。今までに二回陸奥へ向かっていて 今回が第三便だった。

 取締りの荒川さま達は、前々日からヤンシー号に積み入れる米を運ぶ作業に追われた。
 私達も荷物をまとめ、前日のうちに九八に運ばせるなど出帆に向けて準備した。


 そして、六月十九日。出帆当日。

 ご住職にお世話になった謝辞を述べ、まだ夜が明けないうちから真浄寺を立った。
 集合場所の川口番所で点呼を取ってから、用意された艀に乗って沖で停泊しているヤンシー号に乗り込むのだ。

 東の空がうっすらと明けてくる頃、浜辺へ出て艀に乗る順番を待つ私に、九八が声をかけてきた。



 「さよりお嬢さま、今日は感動したからって、泣かねえでくだせえよ?こないだはわしも、ほとほと参りやしたからねぇ!お嬢さまがずいぶんと泣き止まなくて!」



 からかい半分の九八の言葉を聞いて、母上とえつ子さまが驚いた視線を向けてくる。みどり姉さまは余計なことを言う九八に眉をひそめたけど、私はおとなしく肩をすぼめて答えた。



 「ええ、先日は本当に申し訳なかったわ。初めて見る海に、つい感動しちゃって……どうしても抑えきれなかったの」

 「まったく!お嬢さまももう二十歳(はたち)になってんですからね!子どもみてぇな真似しねぇでくだせえよ!」

 「そうね、気をつけるわ。ごめんなさい」



 みどり姉さまが私の肩に手を置く。励ますようにポンポンと軽く叩かれ、微笑で返した。

 ありがたい。九八もみどり姉さまも、私を心配して、さりげなく気を遣ってくれている。

 元気を出さなきゃ。これから新天地で、どんなことが待ち受けているのか分からないのだから。


 決意を新たに暗い海に目を向ける。
 真っ黒な海に浮かぶヤンシー号には、煌々と明かりが灯されている。松明(たいまつ)とはまた違った明るさだ。沖にはいくつか漁火(いさりび)も見える。

 まだ暗いのに、浜辺には私達移民団以外にも、役人や人足、漁師などたくさんの人であふれている。
 それを何とは無しに見つめていた私の耳に、漁師達のやりとりが聞こえてきた。



 「おぉい、見てみろや!大漁だで!」

 「なんだぁ?サヨリじゃねぇべか!」

 「ああ!潮の流れが変わったんだか、不思議と浜辺にいっぺこと打ち上げられててよ!秋よか若干小ぶりなのは仕方ねぇが、これだけありゃいい値がつくで!」



 ………えっ。



 「―――わあっ!何じゃあ⁉︎ 」



 思わず漁師のもとに駆け寄り、魚籃(びく)をわし(づか)んでいた。



 「ねえ!この魚、サヨリっていうの⁉︎ 私に見せて‼︎ 」

 「何言うとるんじゃ、そんげこつ言って、横取りすっつもりじゃろうが⁉︎ 」

 「失礼ね!そんなことしないわよ‼︎ 」

 「なんじゃとっ、失礼はどっちじゃあ⁉︎ 」



 とたんにワァワァ騒ぎになる。いきなり乱入してきた娘に面食らった漁師は、意固地になるほど魚籃を渡さなかった。



 「ちょっと、さより⁉︎ 」

 「さよりお嬢さま⁉︎ 」



 騒ぎのもとが私だと気づいた九八と家族が駆け寄ってくる。周りにはあっという間に人だかりが出来た。



 「さよりお嬢さま、おやめくだせえ!いってぇ何があったっていうんです⁉︎ 」



 止めようとした九八が、後ろから羽交い締めにする。それでも私はおさまらない。



 「この者が言いがかりをつけてくるのよ!ちょっと見せてって頼んだだけなのに!」

 「落ち着いてくだせえ、さよりお嬢さま!今さっき、子どもみたいな真似しねぇでくだせえってお願いしたばかりですよ⁉︎ 」

 「だって……!その魚を見たいって言っただけなのに……!」

 「およしなさい!さより!」



 家族が私の名を呼び、やめさせようとするのを見て、ようやく理解した漁師が、確認するように声をあげた。


 「お()さん、サヨリって名なんか?」



 力が抜けた私は、九八に羽交い締めされたまま、口を尖らせる。



 「そうよ。その魚籃に入ってる魚と同じ名よ。だから見たかったの。私と同じ名前の魚がどんなものか。奪う気持ちなんてこれっぽっちもないわ」



 それを聞いて胸を撫で下ろしたのか、呆れたように漁師は言った。



 「なんでぇ、えろう剣幕で食らいついてきたから、本気で奪われるかと思ったさ。そんならそうと、はじめっから言ってけぇよ」



 「だから最初から言ってるじゃないの」という言葉は飲み込んで、漁師が「ほらよ」と、魚籃の中から取り出してみせる魚を、食い入るように見つめた。

 漁師の手に乗せられていた魚は、背の部分は黒いものの、その腹は白く光るものすごく細長い魚だった。特徴的なのは下顎(したあご)。針のように長く尖り、まるで矢のように突き刺さりそうだ。



 「新潟じゃあ、ショウブとかハリヨとも呼ばれとる。お()さん、こんげのと同じ名なんか」

 「……そうよ」



 以前、父上に(うかが)ったことがある。
 何故私に『さより』と名付けたのか。

 主水叔父さまから、魚と同じ名をつけられたと知った私は、憤慨(ふんがい)して父上に文句を言うつもりだった。

 けれど父上は、満足そうにおっしゃったのだ。



 「サヨリはこう一直線の、まっすぐで上品な魚での。お前にも誇り高く、まっすぐ貫く強さを持ってもらいたいと思っての。それに音の響きも良いじゃろう?」



 冗談じゃない。それでも魚は魚よ?



 「何よ……こんなの、全然きれいじゃないじゃない」



 大きく落胆して力なくその場にしゃがみ込む。そんな私の耳のそばで、ふいに柔らかな声音が響いた。



 『そんなことありません。ほら、私の思った通りだ。とても美しい魚じゃないですか』





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