この空を羽ばたく鳥のように。




 高橋さまは深く息をついておっしゃいやした。



 『気の毒だとは思うが、武家の中など左様なものだ。能力より家柄が重視される。(いくさ)で手柄を立てたとしても、軽輩風情がと見下されるだけだろう。
 源太もさぞ口惜しい思いをしたであろうな』

 『へえ。胸ン中ではそうだったと思いやす。ですが、それを決して(おもて)には出さないお方でした。わしのほうが怒りと悔しさで歯噛みしたくらいですよ』



 あの時の気持ちを思い出して、ズッと鼻をすすり唇を噛み締める。



 『そうか。しかし津川さまもさよりどのも、源太を評価しておられたようだ。主人が理解してくれていただけでも、源太は報われていたに違いない』

 『そうでしょうか。わしには、そう思えやせん』



 あの晩、わしの軽口に津川さまは機嫌を損ねやした。
 身分の低い源太さまに、家督もさよりお嬢さまも与えることはできぬときっぱりおっしゃいやした。

 たとえ本当に評価していたとしても、それは家来としての優秀さであって、源太さまご自身を評価していた訳じゃねえ。

 それでも源太さまは報われたと喜ばれるじゃろうか。



 『もうひとつ訊く。源太はさよりどのに惚れていたか』



 あの晩のことを考えていたわしはハッとして高橋さまを見つめやした。表情から読み取って、高橋さまは頷かれやした。



 『惚れていたのだな』

 『あ…っ!ですが、けしてお嬢さまの弱った心に付け入ろうとか、操を奪おうとか、そんな(よこしま)な考えなぞ持ってらっしゃらなかったと思いやす!』



 あわてて言うと、高橋さまは眉を寄せて続けやした。



 『当たり前だ、馬鹿者。それで、さよりどのは源太の気持ちに気づいていたか。想いを寄せられ、迷惑そうにしておったか』



 その言葉に今度はムッときて、思わず反論しやした。



 『そんなことあるはずがございやせん!さよりお嬢さまはいつも源太さまを頼っておられやした!源太さまがおそばにいないだけで不安なお顔をなさっておりやした!

 許嫁の喜代美さまがご不在のあいだ、さよりお嬢さまのお心を支えていたんは源太さまです!
 さよりお嬢さまもそれをお認めだったからこそ、出陣の日に感謝を込めて自ら源太さまのお支度を手伝い、見送ってくだすったんです!

 それにお嬢さまは、身分で人を差別するようなお方じゃございやせん!源太さまの良さを一番分かっていてくだすったんは、さよりお嬢さまです!』



 わしの剣幕に、多少驚きの色を浮かべておりやしたが、すぐ真面目な顔つきになって、確認するように高橋さまは訊ねやした。



 『ならば嫌っていた訳ではないのだな』


 『へえ!それだけは断言できやす!おふたりにはおふたりにしか分からない絆がございやした!それは決して世間さまに顔向けできないもんじゃございやせん!純粋な…本当に純粋なお気持ちだったと思いやす!』



 鼻息荒く言い切ると、高橋さまはわしから遠くへ視線を移しておっしゃいやした。



 『そうか……。それがまことで、さよりどのも源太を憎からず想っていたのなら、惜しい男を亡くしたな』

 『……へえ』

 『喜代美と八郎の兄としては、複雑な思いだがな』

 『………?』



 高橋さまのお顔は、心なしか寂しそうでした。

 話はそれっきりです。高橋さまはその後、源太さまのことをお訊ねになることはありやせんでした。



 源太さまのことを語るたび、なぜわしはあの時、源太さまのおそばにいなかったのかと後悔に苛まれやした。
 すぐそばにいたなら源太さまの弾除けになれたのに。
 こんな思いをするんなら、自分が死んだほうがはるかにマシでした。


 源太さまは本当に、本当に惜しいお方でした。








 その後も、敵に遭遇することなく穏やかな日を過ごしておりやした。

 ですがあれは九月二十五日のことです。一通の書状を届けに来た藩士が来ると状況は一変しやした。

 なんと―――お殿さまのご決断のもと、二十二日にお城で籠城を続けていた会津軍は降伏、城は開城したとの報せだったんです。

 城外で戦闘を続けている隊はすみやかに武装解除し、引き揚げて謹慎するよう通達がなされ、皆に動揺が広がりやした。

 藩士の方がたは悲憤慷慨(ひふんこうがい)しやしたが、会津藩の非を一身に受けるつもりだというお殿さまの決意ある文書を拝して、そのご仁恤(じんじゅつ)に畏れ多いと感服の涙を流して降伏に従うことになりやした。

 わしらのような農兵や村から連れてこられた者は、ようやく戦争が終わる、村へ帰れると喜んだのでした。


 あとで聞いた話ですが、この降伏の旨が佐川官兵衛さまの耳に入ったとき、報せた藩士に怒りをあらわにしたそうです。



 『わしらが戦うのは、君側(くんそく)(かん)(のぞ)くためぞ!西軍の為す所を見よ!民の財貨を奪い、無辜(むこ)の民を殺し、婦女を犯し、残暴極まれり!これ奸賊にして王師にあらず!ゆえに戦わなければならぬ!』



 しかしお殿さまからの正式な文書が届くと、無念の思いで降伏に従ったそうです。

 そうして城外各地で戦っていた会津軍は降伏し、各軍用意を整えると西軍が待機しているという福永村へ向かったのでした。

 朱雀士中四番隊も二十七日の朝五ツ半(午前9時)頃に大内村を出立し、その夜に福永村に到着、泊まりとなりやした。

 村には、会津藩より先に降伏して西軍の手足となった米沢藩が出張しておりやした。
 ここで武器弾薬を納めることとなり、わしが持っていた蝋色鞘の刀も『農民風情が持つ代物(しろもの)ではない』と取り上げられるように納めたのでした。

 翌朝、米沢藩に警固されながら福永村を出立、途中下荒井村で昼食をとり、その日の七ツ(午後4時)頃に濱崎村へ着いて謹慎となったのでした。










 ※悲憤慷慨(ひふんこうがい)……運命や世の不正を悲しみいきどおって嘆くこと。

 ※仁恤(じんじゅつ)……仁徳をもって人を助けること。

 ※君側(くんそく)(かん)……君主のそばで君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような悪い家臣や部下のこと。

 ※無辜(むこ)……罪のないこと。また、その者。

 ※奸賊(かんぞく)……心がねじけ策謀にも長じた悪人。

.