『源太さま……』
声をかけると、振り向いた源太さまは『ちょうどよかった』と笑いかけてこられやした。
『お前の刀も見てやろう。手入れをしないと刀はすぐに錆びる。いざという時に切れなくては困るだろう』
『え……いいんですかい?』
『ああ』
ためらいがちに腰に帯びていた刀をお渡しすると、源太さまは刀身を抜いて、くまなく見つめやした。
『やはりな。昨日のままだろう。このままにしておくのはよくない』
この刀というのが、刀身は若干短めなのですが、蝋色鞘に上品な装飾のついた立派な拵でございやして、わしが戦禍のなか、その気品さに目を引かれ、身形の良い侍の亡骸から獲ったものでございやした。
そして源太さまと初めて対峙したおり、手にしていた刀でございやす。
源太さまにやられて気を失っていた時に失くしたとばかり思っておりやしたが、後で源太さまがわしらの刀を回収して届けてくださったのです。
この刀をわしのような卑しい者が帯びてるのを咎める侍もおりやしたが、源太さまはその都度 庇ってくださり、わしの手元に留まっておったのです。
昨日の戦闘の時の血は拭い取りましたが、そのあとは鞘に納めたままでした。
源太さまは丹念に脂や汚れを落として、薄く丁子油を引いたあと、
『せっかくの良い刀だ。お前の命を守ってくれるものだから大事にするのだぞ』
そうおっしゃって、わしに返してくださいやした。
刀の価値なんぞまるで分からず、見た目でしか判断できないわしは、源太さまの傍らに槍と一緒に置かれた、塗りの剥げかけた飾り気も何もない質素な刀を見て、思いついて言いやした。
『そんなに良い刀なんでしたら、わしが持つより、刀の良さが解る源太さまがお持ちになられたほうがええんじゃねぇですか?
源太さまのもだいぶ使い込まれて汚れておりやすし、こっちの刀とお取り替えすればええじゃねぇですか!』
そのほうが相応しい、名案だと思ったのですが、源太さまは困ったお顔をなされやした。
『いや……、私はこのままでいい』
傍らの大刀を引き寄せると、源太さまはその理由を聞かせてくださいやした。
『これは私が津川さまに仕えると決まったおり、父が与えてくれたものだ』
『へえ、親父さまが』
『そうだ』と、源太さまは笑って続けやした。
『私の家は貧しくてな。奉公に出るにしても身支度に事欠く有りさまだった。それなのに父は私の門出祝いだからと親戚に頭を下げてまわり、何とか金を工面してこの刀だけは用意してくれたのだ。
父はそれからしばらくして病で亡くなった。だからこの刀は形見のようなものだ。
私はこの刀に、旦那さまへ誠心誠意、忠義を尽くすと誓った。
しかし敵が城下に迫ったおり、血気に逸って一度は誓いを破ってしまった』
大刀をさすりながら、源太さまは過ちを恥じるように目を伏せやした。
『だから再び、この刀に誓いを立てている。質素でも無銘でも、私にとって何にも変えがたい大切なものだ』
愛刀を感慨深げに見つめるお顔は、親父さまや津川さまより授けられた恩を噛みしめておられるからなんでしょう。
そんな大事な刀を"汚れてる”だなんて。わしはまた余計なことを言っちまった。
『それに』と、源太さまは少し厳しい口調でおっしゃいやした。
『お前のそれは、どこぞで奪ったものだろう。その行いを悔い改め、次からは決していたしてはならぬ。
その刀も持ち主に返すまで大事に預かるつもりで扱うのだ』
『へっ、へえ!肝に命じやす!』
あわてて頭を下げると、源太さまは優しく目を細めてうなずかれやした。
『ならばよい。つまらぬことを申してしまったな。よし九八、次の見張り番まで稽古をつけてやるぞ』
『へえ!お願いしやす!』
槍を手にして立ち上がる源太さまの、その背中をどこまでも追いかけるつもりでわしもついて行きやした。
「……思うに、源太さまが津川さまに甲斐がいしくお世話されておいででしたのは、奉公人だからというだけでなく、亡くなった親父さまにできなかった孝行を津川さまに尽くすことで返そうとなさってたんじゃないんでしょうかね。
天から見ていなさる親父さまに胸を張れるように、誇りに思ってもらえるように頑張っていなさったんかもしれやせん」
九八は小さく、寂しそうに言った。
私達に対して、源太が自分のことを話して聞かせることはあまりなかった。
彼は寡黙であったし、いつだって相談を受けたり話を聞いてくれる側だった。
それに甘えて、彼の家族や家の内情など、父上は別としても私達は興味を持って訊ねない限り、それを知る機会などなかった。
だから源太の持つ大刀にそんないきさつや決意が込められていたことさえ知らなかった。
源太は父上に、実家の父御の面影を重ねて見ていたのだろうか。
私は身近にいたはずなのに、頼って与えてもらうばかりで、何ひとつ源太のことを深く知ろうとしなかった。
源太の人柄を評価していながらも、大切に思っていながらも。
結局私は「奉公人」という枠の中でしか彼を見ていなかったのかもしれない。
あらためて申し訳なく感じ、胸が痛んだ。
静まりかえる室内で九八はひとつ深い息をつくと、姿勢を正して声に力を込めた。
「そして翌日の十七日が、おふたりの最期の日になりやした」
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