この空を羽ばたく鳥のように。




源太さまは感情の揺さぶりも見せず、穏やかに続けやした。



『旦那さま。私がさよりお嬢さまへの想いを隠すことなくお伝えいたしましたのは、旦那さまに赤心を持ってお仕えいたしたいが為でございます。
さような(だい)それたことは望んでおりませぬ。己の(ぶん)は充分 (わきま)えておるつもりでございます』


『ならばよい。お前には働きに見合うだけのことをしてやるつもりだ。(いくさ)が済んだら、相応(ふさわ)しい養子先を見つけてやるがどうだ』



津川さまも驚くことなくそんなふうにおっしゃいやしたが、源太さまは目を伏せて首を振りやした。



『ありがたいお言葉、痛み入りますが、許していただけるのであれば、このまま旦那さまにお仕えいたしたく存じます』


『ふん……それほどまでに、さよりのそばを離れたくないか』


『私は旦那さまより受けた御恩を少しでもお返しいたしたいだけでございます』



源太さまが真摯なお心を詰まることなくお伝えすると、津川さまはフンと鼻を鳴らして黙しやした。

重苦しい沈黙が続くのを身をすくめて耐えておりやすと、天の助けか、津川さまを訪ねて民家に客人がまいりやした。
わしらとは違い長く戦に出ておられたようで、くたくたな身形(みなり)をされておいででしたが、同じく戦いに加わっておられた朱雀士中四番隊に属する、高橋金吾さまと名乗られるお方でした。





(金吾さまが……)



突然 金吾さまの名前が出てきて驚く。
越後を転戦してきた朱雀士中四番隊も、八郎さまや坂井源太郎さまなど多くの有為の士を失いながら他の隊とともに一ノ堰の戦いに参加していたんだ。







――――『ご無沙汰しております。津川さまがここにおいでと伺いまして、ご挨拶に罷り越しました』


『おお、よくぞお越しくださった!無事な姿を拝見できて嬉しく思いますぞ!さあさ、こちらへ!』


高橋さまの来訪に、津川さまは先ほどのことなぞすっかり忘れたかのような明るい声を出されて客人を手招きしやした。
『では、遠慮なく』と、高橋さまも黒いお顔にニカッと白い歯を見せて、酒の入った徳利を抱えながら津川さまのおそばにあぐらをかきやした。



『民家で夜を過ごせるとはうらやましい。私共のところは河原で野営ですよ』

『そうか、それは悪いことをしたの。わしら老人は労ってもらわんとな』



おふたりは久方ぶりの対面を喜ぶかのように愉快そうに笑われておりやした。



『今夜は寒さがこたえますな。これでお身体を温めましょうぞ』

『おお、ありがたい!』



酒徳利に喜ぶと、津川さまはわしらを横目で見遣りながらおっしゃいやした。



『源太、九八。お前達ははずせ。外で待っていよ』

『なっ…、こんな冷える夜にですかい⁉︎ 』



冷たい物言いに文句を言うわしとは違い、源太さまは逆らうことなく手をつかえて頭を下げやした。



『承知いたしました。高橋さま、ご無事なお姿を拝見いたし嬉しく存じます。どうぞごゆるりとなさってください。行くぞ、九八』

『ええ〜…』



源太さまは立ち上がると外へ向かわれやした。酒に後ろ髪を引かれつつ、促されたわしもしかたなく従いやした。


源太さまとふたり黙ったまま民家を出ると、外で焚き火を囲んで暖を取っている兵士も、篝火(かがりび)の脇で佇んでいる番兵も、みなお城の方角を望んでおりやす。
日が暮れたあとも、絶えず砲撃の音は耳に届いておりやした。
わしらも同じほうを眺めると、お城があるあたりを、いくつもの赤い火の玉が弧を描いて飛んでまいりやす。
真っ暗な夜空に、お城の上だけがやけに明るく見えやした。

夜になってもお城への砲撃が続いているのを見つめながら、皆さまくやしそうに歯噛(はが)みするしかないのでした。



『ちくしょう……!奴ら、夜になっても砲撃をやめねえのか。
これじゃあご城内の皆さまも休めたもんじゃねぇ。
さよりお嬢さまやご家族の方がたはご無事でしょうかねぇ……』


『案ずるな。きっと大丈夫だ』



真顔でしたが穏やかにおっしゃって、源太さまは焚き火に混ざることなく少し歩くと、ちょうどいい倒木を見つけてそこに座りやした。
わしは焚き火にあたりたかったんですが、しかたなく源太さまに(なら)ってとなりに腰掛けやした。倒木の冷たさが(ケツ)から伝わってきてぶるりと身震いするわしに、突然源太さまが向き直って頭を下げてきたんです。



『九八、すまぬ』

『えっ⁉︎ いっ、一体(いってえ)どうしたんです⁉︎ 』


『私が案じておるのは勘吾と助四郎のことだ。私が城へ連れてきたばかりにお前達を巻き込んでしまった』


『なっ何をおっしゃるんで!そのおかげでわしらの命は助かったと思っとります!わしは何も後悔しとらんです!勘吾達のことも気にしねぇでくだせえ!』



あわてて言うと、顔をあげた源太さまはかすかに安堵したようでした。わしは気をそらそうとして、



『あ〜あ!チクショウ!いいなぁ!わしも酒が飲みてえなあ!』



高橋さまが手にした酒徳利を思い浮かべてよだれがにじみ、わざと大げさに言ってみると源太さまは苦笑されやした。



『すまんな。私が不甲斐ないばかりに、お前に酒を飲ませてやることもできぬ』

『またまた何をおっしゃいやすか!もうやめてくだせぇよ!』



なんだか居心地悪くて、わしも先ほどのことをお詫びしやした。



『源太さま、わしこそ申し訳ごぜぇやせんでした。
わしのせいで源太さまがあんなふうに言われるなんて……くやしいです』



思い出して唇を噛みしめるわしとは違い、源太さまは気にするふうでもなく、『そのことか』と、からりと笑っておっしゃいやした。



『なに、九八のせいではない。気にするな』

『ですが……』

『私が悪いのだ。けして手に入らぬものを欲しては天罰が下る。旦那さまは私の浅はかな心を見抜いておられたのだろう』

『そんな……!』

『さよりお嬢さまには大切に想う(かた)がおられる。九八の気持ちはありがたいが、しょせん私の出る幕などないのだ』



そうおっしゃって笑う源太さまのお顔が、わしには寂しく思えてなりやせんでした。








「…………」


「さよりお嬢さまに『喜代美さま』という許嫁がおられるのは、出陣の支度をしてもらった時に源太さまから伺っておりやした。

けんどそのお(かた)だって戦の混乱で安否も知れねぇじゃねえですか。武家のしきたりなんか関係ねぇ、相応しい男が婿になりゃいいんだ。それにわしは……さよりお嬢さまならきっと、源太さまの良さを分かってくださると信じておりやした」


「九八……」



九八はうつむきがちに言った。すでに目は潤んでいる。
九八は源太からちゃんと喜代美の存在を聞いていた。
それでも父上に源太を推したのは、敬慕する源太の幸せを願う心から。


それだけ、九八の中で源太の存在は大きかった。










赤心(せきしん)……偽りのない心。まごころ。誠意。

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