ーーーーいろいろと準備をして助四郎が戻って来たのは、藩主親子が妙国寺へ立ち退いてからしばらく経ったあとだった。

城内があわただしく退去の支度に追われているなか、助四郎は村の若い男ひとりを連れて戻ってきた。
助四郎と似たような体躯の男は多吉(たきち)と名乗った。

助四郎は母上の前であいさつを済ませてから言った。



「奥さま、準備は出来やした。さよりお嬢さまだけお先に連れて行きたいと思いやす」



その言葉に母上はうなずく。先日たつ子さまに指示されたとおりだった。けれど私は家族と離れて、自分だけが先にお城を出ることに、ひどく抵抗があった。

今離れて、もし会えなくなったら。そう思うと怖かった。
お城の外が、自分の知らない未知の場所に思えて不安でたまらなかった。



「母上……」



その気持ちを含んだまなざしを向けると、母上は目を細めて安心させるようにおっしゃる。



「我々は後始末を済ませてから追いかけるゆえ、案じることはない。お前は自分の身体のことだけ考えなさい。さあ助四郎、よろしく頼みますよ」



助四郎が心得たとばかりにうなずくと、「失礼しやす」と断りを入れてから、私を抱きかかえて戸板に乗せた。無理やり身体を動かされ、激しい痛みにこらえきれずに呻く。
それに構わず助四郎は上から着物と(むしろ)を掛け、連れてきた多吉を促すと戸板の両端を持って運び出した。

せつない思いで家族を見つめる。母上、みどり姉さま、えつ子さまが唇を噛みしめて見送る姿を目に焼きつける。
無情にもその姿は視界を阻まれすぐに見えなくなった。

大書院の広縁まで来ると、今度は用意されていた大八車に戸板ごと乗せられた。



「では参りやす。ちょっと揺れますが(こら)えてくだせえ」



ちょっとどころではなかった。助四郎も()いているのか駆け足で、しかも悪路のため揺れは激しく身体が弾むほど。硬い戸板の上で身体の痛みは倍増した。文句を言いたいが、口を開くと振動で舌を噛んでしまいそうだ。
あまりの苦痛に私は何度も意識を失いそうになった。


お城は開かれ、すでに西軍の者が城内に入り込んでいる。
その脇を通り過ぎながら城下を目指した。


まずはお城を出ること。私は痛みと揺れのため意識がはっきりせずうろ覚えだが、何度か西軍の者に(ただ)されたようだ。けれど助四郎はそのたびにうまく切り抜けてくれた。西軍のほうでも憐んでくれたのか、すっかり血の気を失いぐったりとした私を見ると、さしたる調べもなく通行を許してくれた。


無事にお城を出て城下を通り過ぎる。城下は以前、源太と一緒に出た時よりもっとひどい有様となっていた。


腐乱したおびただしい遺体と腐臭。城下戦を決死の思いで戦い亡くなった味方の兵だった。それにカラスが群がって争うように肉を(ついば)んでいる。
あれが人だとは思いたくないほどの無惨な姿だった。



(なんて(むご)い……)



戦いは終わったのに。なぜ遺体を放置しているのか。


降伏後の調査やお城受け渡しの手続きなどで忙しいのは、西軍の中でも中心的な藩のごく一部だろう。
他の藩の軍隊はこのあいだ何をしているのか。

お城から出るとき、沢山の軍隊が警備と称して何もせず、遠巻きにみすぼらしい私達を眺めているのが見えた。



(なんて(みじ)めなんだろう……)



悔しさに涙があふれた。敵とはいえ、同じ人間のはず。
なのに負けた者に対しての敬意や憐みなど微塵も感じられない。


これが王師と……天皇の軍と名乗る者のすることなのか。

人としての扱いさえしてもらえない。これが戦に負けるということなのか。


助四郎と多吉は先日この道を通っていて惨状を知っていたためか、驚きおののくこともなく、無言のまま遺体の脇を足早に通り過ぎてゆく。
私は手を合わせることしかできなかった。腐臭が強くて、揺れの激しさもともない、具合が悪くて吐きそうになる。


出来るなら、これ以上遺体が痛まないうちに埋葬してあげたい。

けれども自分のことさえままならない現状で、何も出来ない無力さに打ちのめされる。


瓦礫と化した商店などの前には、明らかに家主でない者が焼け残った品を掘り出しては公然と売りさばいていた。

街道に出ると、村の女達が道の脇で煮炊きをして、西軍の兵士相手に商売をしているたくましい姿も見た。


煮炊きした食べ物の匂いと腐臭が相まって、なおさら気持ち悪くなる。籠城中ただよっていた汚物や膿の匂いとはまた違う強烈さだった。
結果、大八車を止めてもらい、私は吐いた。
ほとんど食べてない胃からは酸っぱい液しか出てこない。それでも何度もえずいた。


あまりの具合の悪さに意識も混濁してぐったりした私は、陽も暮れた夕闇のなかで目的地に着いた頃には完全に気を失っていた。


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