この空を羽ばたく鳥のように。





 山浦さまは以前「微禄でしかない自分が嫁を持つなど夢のまた夢だ」とおっしゃっていた。


 山浦さまにとって、優子さんは高嶺の花。
 彼女のご両親だって、たとえ当人同士が望んだとしても、微禄の男に大事な娘をやるとは思えない。


 山浦さまは身の(たけ)をわきまえて、自ら身を引いたのだろうか。


 自分のそばにいて変なうわさが立ってしまったら、優子さんの評判を落としてしまう―――そんな思いで彼女を遠ざけてしまったのではないだろうか。



 「山浦さまにもお考えがあったのよ……きっと」



 山浦さまの気持ちを推し測り、優子さんを慰めるように言うと、彼女はまだ悲しげな瞳でうなずいた。



 「はい、おっしゃる通りです。山浦さまには、山浦さまのお考えがございました」



 そう言って、優子さんは話してくれた。







 このまま離れたくないと訴える優子さんに、山浦さまは床の中からきっぱりとおっしゃったそうだ。



 「駄目だ。家族とともに居るほうがいい。今は」

 「今は……?」

 「会津は滅びる。君公も家中の藩士もこれからどうなるか分からない。奴らが簡単に(ゆる)してくれるとも思えぬ。
 優子どのはご母堂とともに城を出られたほうがいい」



 会津藩は文久三年の八月十八日の政変や元治元年七月に起きた禁門の変で(こと)(ほか)長州藩に恨まれている。

 新政府の舵取りを長州藩が担っていたなら、会津藩は滅藩となり、藩士もただではすまないだろうことは容易に考えられた。


 優子さんは青ざめた。


 この先どんな処断が下されるのか。
 謹慎となった男達はすべて罰せられるのだろうか。

 そんなことはないと思いたいが、どのみち藩が滅亡すれば自分達は路頭に迷うしかない。暮らしが成り立たない以上、好きな人と一緒になりたいなど、とても口に出せるようなことではなかった。



 黙り込んで膝の上に乗せた両手をギュッと握る。
 山浦さまの手がおもむろに伸びてきて、握りしめた両手を優しく包んだ。
 先行きの不安をまなざしに映して、優子さんは山浦さまを見つめる。
 山浦さまは視線を受け止め、静かにおっしゃった。



 「先ほど申した通り、今はどうなるか分からない。身体の傷が癒えず、生涯寝たきりになるやも知れぬし、新政府によりこの身も断罪に処されるかも知れぬ。

 だがそれでも……もしこの身体の傷が完治し、新政府から罪を赦された(あかつき)には、そなたの父上にお願いにあがろうと思う。
 そなたを……わが妻に迎えたいと」


 「山浦さま……‼︎ 」



 感極まって涙ぐむ。さっきまでの不安が嬉しさに変わり、泣き笑いになって「わたくしも同じ気持ちです」と伝えようとすると、その顔を見つめて同じように目を細めた山浦さまが先ほどと変わらぬ穏やかな口調でやんわり遮った。



 「()りとて “だから待っててくれ”とは申さぬ。約束するつもりもない」



 言いかけた言葉を呑み込んで、再び表情が曇る。
 喜びがいっきに霧散してしまった。
 山浦さまはそんな優子さんの様子を静かに見つめながら、言葉を続けた。



 「いつ果たせるか知れない約束で、優子どのを縛るつもりはない。婚姻は家の大事だ。ご両親のお考えが第一であるし、優子どのがそれに抗うのも難しいと承知している。
 他から縁談の話がきたとき、私との約束が優子どのの足枷(あしかせ)となっては申し訳ない。私に気にせず、良い縁談があれば受けてほしい」


 「山浦さま……」


 「ただ、私はその心積(こころづ)もりでおると、優子どのに知っておいてもらいたかった。今は離れるとしても、この気持ちを失うつもりはない。この先、私の生きる(かて)となろう」



 『約束はしない』。それはけして無責任な意味ではなく、その言葉の裏にあるのは、自分を気遣ってくれる優しさ。

 心があたたかくなった。
 ともに歩んで生きたい気持ちがさらに高まる。
 この想いを伝えたい。そう思って口を開いた。



 「山浦さま。約束はいたさなくても構いません。ですが、わたくしも貴方さま以外の殿方を夫に迎えるつもりはございません。そう心に決めました」



 山浦さまの手を包み返して、涙目になりながら微笑む。



 「たしかに今までのわたくしは、両親の命に背く強さなど持ち合わせておりませんでした。
 ですがわたくしの気丈な姉は、養父に甥との縁談を勧められたおり、縁談を嫌っただけでなく、養子縁組まで破棄してしまったものでございます。
 それほどまでの決意を、妹のわたくしにもできないはずがございません」


 「優子どの……」



 山浦さまは目を瞠った。時おり見せる彼女の頑固な一面は姉に似たのであったか、と得心したように彼は苦笑した。






 「ーーーあのおり、わたくしは気づきました。約束などしなくとも、お互いの思いが通い合っているならば、いつかまた交わる日も来るはず。その日を信じて待てば良いのだと。ですから離れることを恐れません」



 そう結んで、優子さんは笑ってみせた。



 もしかしてこれが今生の別れになるかもしれない。
 けれどその恐怖を超える勇気を、山浦さまは優子さんに与えた。




 約束などしなくとも大丈夫。
 そんな安心感を持てるふたりの絆は素敵だと思った。

 想いを遂げることが出来なかった人達の分まで、ふたりには幸せになってもらいたいと切に願った。


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