この空を羽ばたく鳥のように。




大書院では、簡単な修復がなされていた。敵からの砲撃もほとんどなく、ようやく周りを整備する余裕が出たのだ。
動ける男達は崩れた瓦礫を撤去し、使えそうな木材は穴が空いた床に()てるなどしながら、再び傷病者を寝かせていた。

その中に私も寝かされ、看護のため母上がそばについてくれている。

夜半になって仕事を終えた助四郎が大書院にやってきた。
私の看護を母上と交代するためだ。

誰かの手を借りないと自分のこともままならない。
もどかしさと申し訳なさを感じる。自分が情けなかった。



にわかに大書院の中がざわついた。人々の顔に複雑な色が浮かび、それが波紋のように広がってゆく。



「どうしたのでしょう」



何事かと首を捻る。助四郎が「ちょっと伺って参りやす」と言って場を離れた。

情報を待っていた私達の目の前に、板橋たつ子さまが現れた。手には重湯の入ったお椀を手にしている。
たつ子さまは私の脇に座ると声をかけた。



「具合はいかがですか、さよりさん」


「まあまあ、これはたつ子さま。このたびは娘の窮地をお救いいただき、まことにありがとうございました」



お礼の言葉に母上のほうへ向き直ると、「とんでもございません」と深く頭を下げてから、たつ子さまは続けた。



「優子さんから目を覚ましたと伺いましたが、勤めに追われて面会がこのような刻限になってしまいました。
重湯ですが、少しでも(しょく)したほうがよいと思い、持ってまいりました。食べられますか」


「お気遣い、痛み入ります。たつ子さまには本当に良くしていただいて」


「お気になさらないでください。さよりさんはわたくしどもの勤めにも助力していただきましたし、困った時はお互いさまです」



母上とのやりとりのあと、たつ子さまがこちらに顔を向ける。その表情には厳しいものがあった。



「たつ子さまにはまた救われました……本当にありがとうございます」



表情の意味が分からぬままお礼を述べると、「まったくですわ」と、彼女は大仰なため息をつく。



「まことあなたとは、深い縁があるようですわね」



あきらめに近い言い様に苦笑しながら私も答える。



「同感ですわ……どうやら私は、どうしてもたつ子さまにご迷惑をかけてしまう巡り合わせのようです。

ですがたつ子さまはもしご自分が亡くなられたら、その亡骸(なきがら)は打ち捨てて構わないとおっしゃってらしたのに、なぜ私を放っておかなかったのですか?」



初めて言葉を交わした時を思い出しながら、多少からかうように言うと、たつ子さまは少しだけ口を尖らせた。



「あなたはまだ息がございましたからね。放っておけるはずがないでしょう。それにどうしてもあなたを助けてほしいと懇願する方がいらしてね」


「え……?」



驚く私に、たつ子さまは大きく息を吐いてから語り出した。



「わたくしが瀬山さまと御台所の近くを通っていたおり、武家の子女らしい小柄な娘さんと行き合いましたの。
その方がひどく思い詰めた様子で、砲弾が落ちて怪我人が出たのですぐに助けてほしいと訴えてくるものですから、瀬山さまとともに駆けつけましたの。

そしたら倒れているのはさよりさんではありませんか。
わたくしも瀬山さまも驚きましたわ。

その娘さんと三人で瓦礫の中からあなたを助け出したあと、砲撃に怯えて部屋から動けない医師を何とか説き伏せ御台所へ連れてゆき、治療にあたらせたのですよ」



たつ子さまが話す内容が、私の脳裏にはっきりと浮かびあがる。
私を助けてくれたのは、たつ子さまと瀬山さまのおふたりだけじゃなかった。もうひとりいたのだ。



(早苗さんだ)



早苗さんが、私を助けてくれた。



「そ……その娘さんは、その後どうされましたか……?」



つい身体に力が入り、また激痛に泣かされる。そんな私をジッと見つめて、たつ子さまは首を左右に振った。



「さよりさんに医師の手当てを施してもらっているあいだに、いつの間にか姿を消しておりました。どこのどなたかは存じあげません。さよりさんのお知り合いではないのですか」


「そう……そうです」



早苗さんは、私を見捨てず人を呼びに行ってくれたんだ。殺したいほど憎いはずだったのに。私を助けてくれた。

嬉しい気持ちと、疑問がわきあがる。なぜ……?



たつ子さまは静かに私の様子を見ていたけど、おもむろに母上に向き直った。



「申し訳ありませんが、さよりさんに大事な話がございますので、しばらく座を外していただけますか」



母上は驚いて目を瞠る。



「私はこの子の母親ですよ?母にも聞かせられない話なのですか?」


「さようでございます。おそらくさよりさんにとっても、聞かれたくないお話かと」



表情も変えず毅然とした態度でおっしゃるたつ子さまに、ただならぬものを感じる。
先ほどの厳しい表情もこのためなのかもしれない。



「母上……お願いです。たつ子さまの申す通りにしていただけますか……?」



私も口を添えると、母上は()に落ちない様子ではあったものの、しぶしぶ座を外してくれた。










重湯(おもゆ)……水分を多くして炊いた粥の上澄みの液。病人や幼児に食べさせる。

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