白鳥を追って走る。
不思議だった。走り続けても息が切れたりしない。
それどころか走っている感覚も曖昧になりそうだ。
天地の境目はなく、周囲は白一色。地面を蹴っているはずの足も感触は乏しく、ふわふわした感じになる。
疲れることもなくつらいとか苦しいとかも感じない。
地を走っているのか空を飛んでいるのかもわからない。
やっぱり私は死んでいるんだ、と思った。
白鳥との距離はどんどん離されていく。
とてもじゃないが私の足では追いつくことができない。
周囲の色に同化しそうな白鳥を見失わずに追い続けるのも難しい。
(置いていかれたら、どうしよう)
白鳥を見失ったら、喜代美のところへ行けない。
それどころか行き先の見えないこの白い空間に取り残されてしまう。
ゾッとして、それだけは嫌だと力を振り絞って駆ける。
白鳥も絶えず鳴いて自分の居場所を知らせてくれる。
それを頼りに走り続ける。
そんな私の耳に、白鳥の鳴き声ではない、誰かの声が聞こえた。
「ーーー」
「ーーー……!」
誰かが叫んでる。でも内容は聞き取れない。
足を止めて耳を澄ませているヒマなんてない。
そのままやり過ごしていると、声は先ほどより近くなり、今度ははっきり言葉が聞き取れた。
「ーーーさより!」
「ーーーさよりお嬢さま!」
(……私を呼んでる……!)
声が空間に反響する。走りながら周囲を見まわす。
誰もいないのに声だけが私を呼び続ける。
「さより!」
「さよりさん!」
「さよりお嬢さま!」
(皆が呼んでくれている……!私の死を悼んでくれているのかしら……?)
ありがたい。本当に感謝しかない。
私は何もできなかった。何も返すことができなかった。
申し訳ない気持ちに涙がこぼれる。
視界が霞んで白鳥を見失ってしまうというのに。
できれば帰りたい。皆のいるところへ。
そして感謝の思いを伝えたい。
胸が痛んで流れ出す涙を、何度も腕で拭いながら走る私の耳に、他とは違う柔らかな声が聞こえた。
「こちらです。さより姉上」
(ーーーー喜代美!)
喜代美の声だ。向かう先から、喜代美の声が聞こえた。
「ほら前をごらんください。もうすぐですよ。もうすぐ」
言われた通り前に視線を向けると、前方に羽ばたく白鳥の身体が知らないうちに白にも負けない輝きを放っている。
目指す光に白鳥が重なって輝いて見えるのか。
その光は白鳥の姿を飲み込み、だんだんと大きく広がってゆく。
あたり全体が強い光に包まれ、目を開けていられないまぶしさに思わず立ち止まった。
目を閉じる刹那、光の中にこちらを振り向く喜代美の優しく微笑んでいる姿がーーーー見えたような気がした。
「目を覚まして!さより!」
強く呼びかけるその声に、意識を引っぱられるように目を覚ます。
すると喜びに沸き立つ声が耳に飛び込んできた。
「ああ……ああ!さより!気づいたのね!」
「さよりさん!よかった……!」
かすんでいた視線が定まると、私を囲んで安堵したように笑顔を浮かべる皆の顔が見えた。
(私……戻ってこられたの……?)
家族がいる。母上とみどり姉さま。えつ子さま。
そして安否が心配だった優子さんのお顔も見える。
それから………。
「ーーー助四郎……!」
すっかり意識を取り戻すと、皆のなかに助四郎の姿を見つけて声が漏れた。ひどくかすれた声だった。
起き上がろうとして身体に力を入れたとたん激痛が襲う。
見ると左肩から胸まで、着物を細く切ったのだろう木綿布できつく巻かれていた。痛みのあまり顔を歪めて呻く私を助四郎が涙声で制した。
「起き上がっちゃあなりません!お身体に障ります!」
「よ…かった。助四郎……戻ってきてくれたのね」
少しだけ口角をあげて微笑むと、助四郎の両眼からいっきに涙が溢れ出した。
「へえ……!皆さまのもとを飛び出したあと、城からも出られず途方に暮れていたところ、凌霜隊の小野さまに声をかけてもらいやして、いろいろと諭され、津川家の皆さまのもとへ戻れるよう執り成していただきやした!」
助四郎はいっきに経緯を語り終えると泣きながら続けた。
「さよりお嬢さま、ほんに申し訳ございやせんでした……!
わしが勝手な振る舞いでおそばを離れてしまったせいで、お嬢さまがこんな目に遭われなさるなんて……!」
詫びながら頭を床にこすりつける助四郎に、私は首を振ろうとしたが、またまた激痛に顔が歪んだ。
「いいえ、違うわ。謝らなければならないのは私のほう。私は武家の都合でしか物事を考えていなかった……。
あなたを傷つけたわ。本当にごめんなさい……。
でも、戻ってきてくれて嬉しい……ありがとう、助四郎」
身体を動かせず、言葉だけで伝えると、顔をあげた助四郎は思いっきり鼻をすすって、腕で乱暴に目元を拭うと笑顔を浮かべた。
「へえ……!これからもお世話させていただきやす!」
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